(令和3年2月10日 小規模多機能型居宅介護元気な仲間にて)
こんにゃく屋からNPO法人を立ち上げる
私は、もともと昭和10年創業の「谷仙商店」の3代目としてこんにゃく屋をしていました。2000年(平成12年)の介護保険制度が始まった年にお店のお得意様がホームヘルパー3級の資格を取得されました。「良かったですね」と話していたら、翌年「今度は2級(※現:介護職員初任者研修)を受けるし、あんたも受けえ」と勧められました。当時、私は30代前半で、ヘルパーの仕事についてあまりよくわかっておらず、家に行って、料理や洗濯をする家政婦さんのような仕事だと思っていました。「取りあえず空いているかどうか、聞いてあげるわ」とお得意様に言われるまま、その流れでヘルパー講習を受けることになりました。でも、それがきっかけで、様々な社会課題や少子高齢化がどんどん進んでいるという現状がわかりました。当時、高島市は、合併前(※2005年、5町1村が合併し高島市が誕生)でしたけれども高齢化率は20%を超えている状態でした。また、昔は近所の人に「お醤油を貸してください」と気軽に頼ったりと近所の人同士が助け合っていましたが、今は、24時間営業のお店が増えたり、サービスはお金で買える便利な世の中になりました。でも、その反面、近所付き合いがだんだんと薄れていき、このままいけば、将来大変なことになると感じました。時代や社会環境が変わっていくことで薄れていっている部分を、今の時代に合う形でちょっとでも取り戻せるような地域をつくっていくことが大事だと思います。
地域の仲間が元気に過ごせるまちに
NPO法人元気な仲間は、行政に頼るだけでなく、他の人を気に掛ける住民が多くなり、高齢者、障害者、若者、子供、誰でも相手のことをちょっと気にして、ちょっとでも手伝ってみようと思えるような助け合いがある町になればいいなとの思いで平成15年8月8日に設立しました。
はじめは新旭町商工会が行っていた、買い物に行くことが難しい高齢者や障害者に商品を配達したり、業者を紹介する等の買い物のお手伝いをする生活支援事業を引き継ぎました。その後、デイサービス、訪問介護、福祉有償輸送などを始めました。
ファミリーサポートセンターは、子育てで困っている人と手伝えますという人を結び付ける仕組みで、法人を設立した平成15年頃は県内に3箇所しかありませんでした。当時、「新旭町でもできないだろうか」と役場に働き掛けると「人口5万人規模の市からまず設置していく目標になっています」と教えてもらいました。当時の新旭町は1万2600人程の町でしたので、合併して高島市になると対象に含まれると思いました。
介護保険事業をしながら、余剰金をつくって、そのお金を使ってボランティア的な活動として、困っている人と手伝いますという人をうまく結び付けるような新しい仕組みやシステムを考えていました。高島は高齢者が多いので、住民同士が支えるような仕組みをつくれたらなというのが一番思うところでした。
持続可能な形にすること
「たすけあい高島」は、住民同士の助け合いのあるあたたかい町になればとの思いから、有償ボランティアという形で助けてほしい人とお手伝いできる人を結びつける事業として平成21年度から始めました。たすけあい活動は会員制です。会員登録は無料で入会金や年間費などは一切ありません。「よろしく会員」と「まかせて会員」の2種類あります。掃除や調理、お庭の草引きや剪定、見守りなど、お手伝いを必要とする「よろしく会員」さんのお宅へ「まかせて会員」さんがお伺いし、ボランティア活動をします。
「まかせて会員」として安心して活躍していただくためには、「まかせてサポーター養成講座」を受講していただきます。実際の活動時の注意点や高齢者に起こりやすい病気やケガ、その対処法について学べる講座です。 有償ボランティアの仕組みにしたのは、無償のボランティア活動は、やる気がある時にはできると思いますが、中心となる人が引退したり、やる気が低下したときに継続していくことは難しいと思いました。今、うまくいっていても、私が老後のときに終わってしまったら、意味がないので、ボランティア精神だけでなく、仕事として、持続可能な形にしていくことが重要だと考えました。入会してくれる人も有償だからということで参加してくれる人もいます。利用料金は1時間800円で、困った時に連絡をいただいて、お手伝いできる「まかせて会員」さんを派遣します。「まかせて会員」さんからは、「利用される方に喜んでいただくことは一番の喜びです。それで少しお金がもらえて一石二鳥です」「800円もらえたら、孫にお菓子でも買ってあげられるわ」「コーヒーが飲めて、良かったわ」とのお声もありました。「無償でないとかなわん」とおっしゃる人もいるのですが、普段から無償で活動している人は、いろいろな活動や会議にも参加されているので、その人が「毎日、ご飯をつくりに来てほしいわ」とお願いされても、たぶん行けないのですね。有償ボランティアだからこそたくさんの人が協力してくれているのかもしれません。会員は、年々増えていっています。年に一回継続の確認をしますが、昨年度の会員数は784名でした。
理想の地域とは?
私が考える理想の地域は、例えば住民が認知症の人に対して理解があり、ちょっと様子がおかしいなと思う人がいたら、優しく寄り添えるような地域です。介護職の人は、日々の介護業務や訪問があり多忙です。福祉サービスだけで支えるのではなくて、地域の人も他の人を気遣い、手伝えたらいいのにと思います。そんな意識を持つ住民が、100人中5人の町よりは100人中10人いる町のほうがいいです。100人中100人が他の人を気にするなんてできるわけがないです。でも、5人より10人いた方が住みやすい町になっていくと思います。だから、それぞれのコミュニティーを再構築していくみたいな大きなことではなくて、地域の住民の支え合う気持ちがちょっとでも増えたらなと思います。地域の困りごとを解決するということで社会参加でき、その人自身も元気でいられる。そして、困っていた人は困りごとが解決できる。福祉サービスだけで担うのではなくて、地域の人がそこに関わることで元気で暮らし続けるように共助と互助が協働して必要な支援を届けることができる町ができたらと思っています。
谷さんの原動力
なぜ、こんにゃく屋からNPO法人を立ち上げたかと言うと一番は自分の老後のためです。自分の老後のときに自分が住みやすいと思える町であれば、他の人もたぶん住みやすいと感じてもらい、高島市がさらに住みやすい町になっていると思います。
家業がこんにゃく屋でしたので、高校を卒業した後は、大学に進学するのではなくて、経営のことを学んでおくべきと考え経理の専門学校へ行きました。その後、3年半ほど会計事務所に勤めさせてもらっていたので、法人を設立するにあたって事務的なことなどはあまり困りませんでした。わからないことがあれば、すぐに県庁に聞きに行ったり、淡海ネットワークセンターへ行って尋ねました。ヘルパーの講座が終わってからも、NPO法人の開設に向けての研修会に参加したり、いろいろな勉強に参加させてもらいました。そのような機会をたくさん設けてもらい、様々な人に後押しをしてもらいました。法人立ち上げに向けていろいろな人と巡り合えたのは良かったです。自分の思いだけではなく、背中を押してくれる人がいると進みやすいと思います。いろいろな方に協力いただいて、いろいろな巡り合わせがありました。運命的だと思ったのが、ヘルパー講座を勧めてくれたお得意様は、今、利用者さんとして関わっています。あのときに私に声を掛けてくれた結果、NPO法人元気な仲間ができて、いまこうして利用してくれていることはうれしく思います。
谷 仙一郎(たに・せんいちろう)
NPO法人元気な仲間 代表理事
地域のこんにゃく屋の長男として生まれる。高校卒業後、専門学校で簿記や経営を学び、会計事務所に就職、24歳から家業のこんにゃく屋の3代目として働く。ホームヘルパーの研修を受けたことから、平成15 年にNPO 法人元気な仲間を立ち上げ、民家改修型のデイサービスなどの介護保険事業、福祉有償運送、学童保育所、指定管理などのほか、制度外の住民同士のたすけあい事業、居場所づくりなどに取り組む。NPO法人街かどケア滋賀ネット理事長、さわやか福祉財団インストラクター、住民参加型在宅福祉サービス団体全国連絡会幹事等も務める。
NPO法人元気な仲間HP
たすけあい高島HP
編集後記
「代表理事として法人の運営面などを考えるべきだと思うのですけど、利用者さんといられることがうれしいです」と語る谷さん。谷さんは、宿直業務や訪問など現場の支援にも直接携わっておられます。インタビュー中に利用者さんが谷さんを訪ねてこられた場面を見て、利用者さんとの関わりを大切にされている様子が伺えました。また、新たに法人を立ち上げることは、そんなに簡単なことではないと思いますが、社会課題を知ってすぐに法人を立ち上げ、自分で何とかしようとする行動力に感服しました。昔に比べて、今は様々なサービスが生まれ、これまで近所同士で助け合ってやってきたことが、便利なサービスに置き換わりました。そのような中、谷さんは、薄れかけてきた大切なことに気づき、繋がりを取り戻すための実践をされています。そして、糸賀一雄氏にたくさんの協力者がいたように谷さんにも、たくさんの協力者や背中を押してくれる人がいます。その方々と繋がった結果、高齢者をはじめとし、障害者、若者、子供など幅広い人を支えるたくさんの事業を展開されています。インタビューを通じて、社会課題は自分ごととして考えること、そして、多くの人々を支える事業は、将来に繋がるように持続可能であることが必要だと教えていただきました。
(聞き手 佐倉・石田)