川島民子(かわしま・たみこ)さん
滋賀大学

川島民子(かわしま・たみこ)さんは、滋賀大学の准教授です。専門分野は特別支援教育で、特別支援学校教員ですが、今は実務家教員として派遣され大学に勤務しています。現在は、教育的ニーズのある子供たちへの支援に関する実践研究、不器用な子供たちへの感覚運動遊びに関する実践研究をされています。また、運動が苦手な小学生を対象とした、自分のペースで楽しくエクササイズを身につける教室「からだスイッチ」を主宰されています。川島さんに、からだスイッチを立ち上げたきっかけや、教育や活動で大切にしていることなど伺ってきました。
(令和3年1月6日 滋賀大学にて)

特別支援教育の面白さを知って

障害のある方たちに関心をもったきっかけは、はっきりはしないのです。一つは、国際障害者年だったと思いますが、(サリドマイド病患者の)辻典子さんのドキュメンタリー映画「典子は、今」を見たことのような気がします。また、私には妹が2人いるのですけど、股関節の病気ペルテス病にかかり装具をつけている時期があったり、腎臓の病気ネフローゼ症候群で長期間入院していたことがありました。このように自分の身近な家族が福祉や医療と関わりがあったこともきっかけの一つだったと思います。その思いが残っていたのか、高校を卒業して大学に進学する時は、子供と遊びながら療育ができる仕事に就きたいと思っていました。その頃は、先生になりたいと思っていなかったのです。とりあえず教員免許はとっておこうかと教職課程を履修していました。でも、教育実習に行ってみたら、学校の先生も面白いなと思いました。学校の先生は、長い時間子供たちのいろんな姿を見ることができ、より深く関係を築ける場所だと思い教育にシフトしました。

特別支援学校の先生になって最初の配属先は県立三雲養護学校の高等部でした。高等部では、学校内での授業とともに作業所の実習の引率をしたりしながら、生徒の卒業後の進路を考えたりしていました。その後、希望して紫香楽校舎へ異動しました。紫香楽校舎は、紫香楽病院に隣接しており、そこに入院している肢体不自由と併せて、知的障害や視覚障害、聴覚障害、病弱などの重複障害がある児童生徒たちが学ぶ校舎です。なぜ希望したのかというと、紫香楽校舎でずっと教えていた先生が周りに何人かおられ、教師だけではなく、医師、看護師、指導員も関わり一緒に授業を作り上げてきた話をお聞きし、影響を受けたからです。

「助けて」と言えること 

三雲養護学校では、高等部、紫香楽校舎、中学部と14年間在籍しました。その後、滋賀大学教育学部附属特別支援学校(以下:附属特別支援学校)に行くことになりました。ずっと年齢の低い子供と関わりたいと思っていましたが、転勤というきっかけで、小学部に行くことになりました。

附属特別支援学校の小学部は学年制で、1~2年生のクラス、3~4年生のクラス、5~6年生のクラスという複式学級の編成です。私は、なぜかご縁がありずっと一番年齢の低い1~2年生のクラスを担任していました。

療育の分野に行きたいと思っていましたので、教員になっても年齢の低い子供に関わりたいと思っていました。でも、お話したように高等部、中学部に所属をしていたので、もう年齢の低い子供たちと関わることはないかなと思っていたタイミングで、小学部の配属となりました。改めて考えると様々な年代の生徒と関われてよかったと思っています。もし初任から小学部に行っていたら、多分その年代のことしか分からなかったと思います。高等部では、進路指導にも関わっていたので、卒業後の姿のイメージがもてたり、今でも卒業生と繋がったりしているので、今の姿から成長した先の姿が見えます。「いまできなくても、じっくり積み上げていったら大丈夫」と思えたり、「この子は将来きっとこのような姿をみせるかも」「この姿は大事に育てていったほうが絶対にいいよね」と考えることができました。 

教員として生徒に伝えたかったことは、人との関わりや、繋がりは大切だということです。私もそうですけど、人間は一人で全部できるわけではありません。「自立」を目指すと言いますが何でも一人で完璧にできるわけではありません。出来ないことがあれば人に助けてもらいながら、生きていくことが大事だと思っています。だから、どんな方法でもいいから、「助けて」と言える力が必要だと思っています。「助けて」と言うと、「どうしたの?」と必ず誰かが気づいてくれます。そして、そこから解決するために一緒に考えてもらうことができます。でも、「助けて」の発信がなかったら、一人で抱え込んでしまい、どんどん世の中から分断されてしまいます。それが一番怖いことです。私たち自身も、人との接点、繋がる力は育てて送り出したいと思っています。そのためには、困ったときに人を頼っていいんだよということを幼いころから学んでいけるといいなと思っています。それには、「人が好き」「人が信頼できる」ということがベースにないと、安心して頼ることができません。そのためにも人との関わりと繋がりは大切にしたいと思っています。

からだを動かすことからつながる 

私が主宰している“からだスイッチ”は、運動が苦手な小学生が自分のペースでエクササイズを身につける教室です。現在、月に1回程度、8~9人くらいのグループでやっています。今年で5年目になります。それぞれの年齢や、通っている学校も違うので、学校以外の友達と集まって楽しく活動できることを大事にしています。最初はもっと大人数の活動をイメージしていたのですが、現在ぐらいの人数のほうが子供たちの様子や表情がよく見えますし、子供同士もお互いが分かって適度な人数だと思っています。

からだスイッチを始めたきっかけは、附属特別支援学校での親御さんとの会話です。親御さんと話す機会があり、学校以外の生活の場や土日の過ごし方など余暇の話になりました。「体を動かせる場所が欲しいけど、体操教室や水泳教室に行ってもなかなか合うところがなくて……どこかいいところはありませんか?」という話になりました。草津市にある障害者福祉センターに出掛ける方もおられましたが、「もっと近くで、定期的に」ということが、お母さんたちの希望でした。何度もそのような話を聞く機会があり、趣味としてエアロビクスをやっているので、場所さえあれば自分でもできるのではと考えたのが始まりです。そのことを一緒にやっていた友達に何気なくふと話すと、その友達が別の友達にも投げかけてくれて、輪が広がっていったのです。意外とキャッチしてくれる人たちがいて、場所を無償で貸してくれる人を紹介してくれたりと、不思議なタイミングでどんどんと話が進んでいきました。最初は、いきなり始めてどれだけの人が集まるのか不安でしたので、三か月間は試行期間として知り合いのお母さんたちに声をかけて参加してもらってのスタートでした。

当初は、年齢制限を設けずに、参加したいと思ったら何歳でも受け入れようと思っていたのですが、年齢が変わると同じゲームでも楽しめる年代と面白くないと思う年代と変わってきます。一つの集団で活動しようと思うと、小学生という区切りでやっていくほうがみんな満足できると考え、小学生のみを対象にすることにしました。

途中で教室をやめる子供さんがいらっしゃった時もありました。親御さんに理由を尋ねると「本人にとって活動がだんだん物足りなくなったようです……」というお話でした。それを聞いて「子供たちみんなのニーズに応えられるようにしないといけないかな……」と悩んだ時期もありました。でも、よく考えてみると、からだスイッチの活動が物足りなくなってきたということは、本人に力がついて、次のステップの場に進もうとしていることだと気づきました。別の子供さんは、からだスイッチと並行して別のトレーニング教室にも通い始めたということを聞きました。からだスイッチで完結することは私たちが目指していることではなく、あくまで、体を動かすのが苦手な子供たちが抵抗感なく、体を動かすことは楽しいと思うことができて、次のステップアップに繋がることが大事だと。小さいころに体を動かすことに抵抗があるかないかは、将来の生活の豊かさにも大きく関わってくると思っています。自分から動かない生活が当たり前になってしまったら、この先、自分から行動しようとする気持ちも生まれにくくなってしまうと思います。加えて、小さい頃から家族以外の人と接する機会があることで、人との繋がりの広がりも生まれると思います。もうちょっと大きくなって自分で楽しめる場を見つけられる人になるといいなと思っています。

からだスイッチの活動の様子

“発表の場”がもたらす効果 

からだスイッチを立ち上げた時、発表の場をつくるかどうか迷っていました。そんな中、一緒にやっているスタッフが湖南市の文化祭に関わっており「やってみない?」と誘ってくれたのがきっかけで、発表の場に参加することにしました。発表する場があると、子供たちにとって「発表に向けて頑張る」という目標ができることに繋がります。

実際に発表の舞台に立って、子供たちがステージで踊っている姿を見ると、みんなそれぞれ自分らしさを発揮していて、親御さんたちといつも「みんな本番に強いよねえ」と話しています。練習のときは、「大丈夫かな?本番までに仕上がるかな?」と心配することもあるのですが、本番のステージに上がると全く違います。とても張り切っている姿ばかりで、スポットライトの中で、アドリブで踊ったり、満面の笑みで踊ったり、それぞれの子供たちの存在感がそこここに表れます。その様子を見ると、一人の人間として地域、社会、世の中と関わっている、参加していると改めて感じます。文化祭の客席も満席ではなくて、まばらではあるのですが、拍手してくれたり、一緒に体を動かしてくれたりと温かさを感じます。あまり観客が多いと、緊張したり、圧倒されるかもしれませんが、文化祭はリラックスできて、力が発揮できる適度な発表の場なのかもしれません。

発表の場は、単に人前で表現する機会になるだけではなく、社会との接点を得る、普段とは違う力を発揮できる、成長を感じることができる場にもなっています。これらの成果は、参加しなければ得ることができないことであり、参加したからこそ予期しなかった可能性を広げられることにつながったと思っています。今年は新型コロナウイルスの影響で残念ながら文化祭は中止となりましたが、やはり発表の場は、子供たちにとって、とても励みになりますので、来年は何かの形でできればと思います。

私の一番の目標は、長く続けていくことです。地道でいいので、ずっと続けていけたらと思います。

湖南市の文化祭での発表の様子

子供の参加する権利 

5年間続けてきた今、また人との繋がりから福祉の分野と繋がる機会がありました。その繋がりが、今やっている“からだスイッチ”の活動をちょっと違う視点から見たらどんな位置づけになるのか考える機会になりました。福祉分野については、まだまだ不勉強なので偉そうなことは言えないのですが、1994年に日本が批准した「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」では、生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利の4つの権利を遵守するよう締約国に義務付けられているということを知りました。その中で、“参加する権利”は、自分の思いや願いを自由に所持し、表現し、表明し、仲間を集めることのできる権利ということも知りました。福祉分野についていくつか調べてみると参加することも児童福祉の中で大事にされるべきことだと知りました。そして、自分の中にストンと落ちました。福祉の中で大切にすべきことは、他にもいろいろあると思われますが、今自分がやっていることと、児童福祉の分野で大切にすべきことが共通していると思えました。これまでやってきた発表会や、最近ではオンラインでの発表の場がありますが、そのような場に参加して社会とつながることは、児童福祉に関わる取り組みだと考えています。今は、からだスイッチの活動を一定期間続けてきた中で、立ち止まって考えていきたいと思っています。

〇川島民子さんの研究論文

発達性協調運動障害がある学齢期自閉スペクトラム症児の特性に合わせた活動プログラムの検討‐感覚統合の視点を取り入れた地域療育活動において‐ ,滋賀大学教育学部附属教育実践総合センター紀要,25,pp35‐pp41.

地域における障害のある子どもに対する児童福祉の芸術文化活動への参加に関する取組の一事例

プロフィール

川島 民子(かわしま・たみこ)

国立大学法人 滋賀大学教職大学院 准教授

大学、大学院で心身障害学を主専攻。滋賀県立の養護学校教諭として採用。滋賀県立三雲養護学校、滋賀大学教育学部附属特別支援学校を経て、現職教員派遣の立場として現職に勤務している。いずれは学校現場に異動予定。5年前にからだスイッチを立ち上げ活動している。

 

 

編集後記

親御さんとの会話から生まれた“からだスイッチ”は、自分のペースでエクササイズができるだけでなく、発表の場を通じて、子供の参加する権利を保障することにも繋がっています。そして、それだけではなく、親御さんが学校や家での出来事、子供にまつわる悩み事などについて相談できる場でもあります。特別支援学校の先生である川島さんだからこそ、親御さんにとって相談しやすく、気軽に話せる存在だと感じました。新型コロナウイルスの影響で一斉休校になった際も、LINEを通じてメッセージのやり取りをされていたと伺いました。糸賀一雄氏は、最後の講義(※)で家庭の根源的な機能は、子供の情緒的な安定、心が落ちつくことであると説いています。川島さんは、これまでもたくさんの協力者と繋がって活動を続けておられます。今回は、川島さんの研究論文も併せて掲載しています。川島さんの実践と共に多くの方々に読んでいただき、そこから新たな繋がりが生まれることを期待します。
※1968年9月/滋賀県児童福祉施設等新任職員研修会/大津 

(聞き手 佐倉・石田)