太田清蔵(おおたせいぞう)さんは、特定非営利活動法人NPO結の家の代表を務めておられます。結の家は、デイサービス等の高齢者介護を中心とする事業所ですが、同敷地内にあるファームキッチン「野菜花」、就労継続支援B型事業所のあいとう和楽とともに、「あいとうふくしモール」という拠点であり、プロジェクトをしています。この町に暮らす人たちが、どのような状態になっても安心して暮らすことが出来る拠点づくりという壮大なこのプロジェクトに取り組むことになったきっかけや、今、向き合っている地域課題とその対応策を伺ってきました。
(令和3年9月16日 あいとうふくしモールにて)
結の家ができるまで
もともと愛東町(※1)の出身です。ここは僕の土地なんですよ。
大学は地元を離れ、東北の大学に通いました。卒業後、東京都内にある知的障害者施設に就職し、縁あってあかね寮(現障害福祉支援施設あかね)に勤めることになり、滋賀に帰ってきました。その後、1990年には愛東町社会福祉協議会(現東近江市社会福祉協議会)で働くことになりました。その時期は福祉関連八法の改正が施行されて市町村にも老人福祉計画の作成が義務付けられた頃で、愛東社協もこの計画に参画していました。地域(集落)を基盤にした地域福祉計画、診療所の建設、高齢社会を見据えて、総合福祉センターの建設を進めた時期でした。その後、介護保険法が施行されると介護保険サービス事業に社協が取り組むことになりました。愛東町の地域(集落)を基盤にした地域福祉計画に基づいて、社協は、地域福祉活動計画策定し、住民さんたちと自分たちの暮らしをどうつくるのかと話し合う場面をもち、検討を進めてきました。
その中のひとつの集落 (現在の愛東外町)で安心できる集落をつくろうと住民さんたちと一緒にデイサービスセンターをつくったんです。自治会有志でお金を出し合い、民家改修をしてデイサービスを立ち上げました。デイサービスセンターで働く職員と住民さんたちで、自分たちの安心な暮らしをつくっていくことになりました。さらにデイサービスセンターではご飯をつくるんだから、そのご飯を必要な世帯にお弁当にして届けることができるだろうと、配食サービスもやることにしました。
愛東外町では、「もちつもたれつ活動」という住民相互の助け合い活動も実施していました。これらの取り組みをもうちょっと愛東町全体に広げていく必要があるだろうと、ここ小倉地区にも新たに拠点をつくったというわけです。今は、配食サービスもデイサービスのご飯も、知的障がい者の仕事づくりとして、あいとう和楽が担ってくださっています。愛東外町で取り組まれてきた「もちつもたれつ活動」はあいとうふくしモールの「ほんなら堂」として愛東地区を中心に活動が広がっています。
※1 愛東町~市町村合併により2005年に東近江市になる。
ふくしモール構想、最初の石ころ
あいとうふくしモールは、いろいろな人たちと出会って今の形になりました。川副きよ子さん(あいとう和楽代表)の魅力であったり、野村正次さん(ファームキッチン「野菜花」を運営する株式会社あいとうふるさと工房代表)との出会いだったり。僕は感覚の人間なので夢を語り、野村さんはそれをちゃんと形にする人で、川副さんはほんわかやりながら、潤滑油の役割を担ってくれていて。男だけだったら絶対失敗していると思います、本当に。
さらに、ふくしモール構想(※2)について語り合う「モール」という集まりを月一開催してきたことが大きいです。ふくしモール構想を考えるようになったのは、中村恭子さん(保健師。滋賀県職員)からの話がきっかけです。
保健所にいた彼女が「介護の必要なおばあちゃんだったか、おじいさんであったか、がベッドから落ちたんだけれども、年老いた家族の力だけでは戻せなくて、地べたにずっといたんだよ。こんな人たちはどうやったら救えるのかな」という話をしてくれて、「そんなことを私に聞かれても……。じゃあ、みんなで考えよう」と言って集まったのが「モール」の始まりで、彼女の話が最初の石ころなんですよ。それが2009年頃。月に一回、僕のお友達を集めて、そのお友達がまた違うお友達を集めてという形で集まった人たちの意見の集約によって、ふくしモール構想をつくってきました。
※2 ふくしモール構想~地域で安心して暮らすための仕組みの構想。それを形にしたのが、あいとうふくしモール。様々な機能を有する事業所がショッピングモールのように軒を並べるイメージからモールという言葉が使われている。
ヘルス&ワークのデイサービス
昔は地域によろず屋さんがあって、そこで商品も買えれば、情報交換もできて、困りごとなんかも相談できましたよね。よろず屋さんは時代の流れの中でなくなり、今回、愛東町に唯一存在したスーパーが閉店しました。「買い物する場所がなくなった、なんとかならないものか」。ふくしモールに相談が持ち込まれました。歩いて行けるところにお店ができれば、よろず屋さんの代わりになるかもしれない。川副さんや野村さん、住民有志で合同会社をつくって、地域の中の閉店したお店を、i・mart(アイマート)として今年の8月27日に再オープンすることができました。さらに移動販売も始めています。
それから、デイサービスセンター加楽(東近江市)を運営しているNPO法人の代表の楠神渉さんと一緒に、i・martの中に働けるデイサービスセンターとして、ヘルス&ワークのデイサービスセンターをつくろうと準備しています。例えばお店にモップをかけるとか、配達すべきものを詰めるとか、一緒に配達に行くとか。その働きに対して一回500円くらい支払えたら、帰りにはそれでお店の何かを買い物できるという楽しみにもなる。町の行き慣れた場所に自分の足で来て、健康を維持できるのがいいなと思うんです。午前中はデイサービスセンターにして、昼からは健康づくりだとかイベント的なことができるスペースとして使っていく。買い物に来ているお母さんたちのお子さんをお預かりするとか、そんなことができたらいいんだろうなとも思っています。
移動販売で地域のニーズをキャッチする
移動販売も始めていますが、物を販売するだけではなくて、ニーズキャッチでもあるはずと思っています。地域を回る中で「こんな人がいて、こんなことに困ってはるねん」ということがあればそれをキャッチして、i・martにいるほんなら屋(※3)の事務局スタッフに伝えて、そこからふくしモールの事務局が状況確認訪問し、ちゃんと必要なサポートにつなげていったり、そういう人たちをどういうふうに支援できるシステムをつくるのかを考えるイベントを組んだりとかができていけば、もっと広がるはずです。
※3 ほんなら屋~あいとうふくしモールの連携拠点(事務局)。地域の困りごとに対し、あいとうふくしモールの事業所のサービスに繋げたり、30分500円の料金で登録サポーターがちょっとした困りごとに対応する「ほんなら堂」を活用するなど、さまざまな知恵や仕組みを駆使して地域内での解決に取り組んでいる。
事業展開と持続のための資金について
もともとは介護保険を軸に地域活動をやろうとしたわけです。介護保険が始まった当初は、収益があったわけですよ。だから、これを財源に地域福祉活動していたわけです。ところが、介護保険が見直されていって、収益が上がらなくなり財源を失っていって。不誠実な事業所もあるから仕方がないかもしれないけれども、収益をちゃんと地域還元している事業所については、税金の優遇などしっかり評価してほしいと思います。
事業の持続可能性をどう組み上げるのかというのが課題で、今、僕たちが個人でお金を出して何とかしているけれども、これは良くないですね。薄く浅く、みんなでどう支えていくのかということになるのが大事ですよね。そうしたところを訴えながら進められると、本当のいい社会ができてくるのではないかなと思います。
巻き込みながら解決していく
あいとうふくしモールは、「あそこに行けば何とかなる」という拠点を目指しているけど、ふくしモール一つだけでは対応できない。今のような取り組みは一法人で完結してしまえば、実は楽なんだけど、それをやってしまうと膨らみもなければ、何にも繋がらないんですよ。いろいろな人たちがリスクを分散しながら、思いを寄せ集めてやっていかないと独り善がりになってしまうのでね。
たぶん滋賀の福祉の先駆者である糸賀一雄先生も池田太郎先生も田村一二先生も、いろいろな人を巻き込んで活動されてきたのだと思うんです。 独り善がりでやったら駄目だし、連携はとても大事なことだけど、連携や巻き込みは目に見えないんですよ。糸賀先生の近江学園もそうだと思うし、田村先生なんかは共同体を持ちながら見える化をしたと思うんだけど、やはり拠点がないと見える化にはならないです。
なので見える化をしたのがここの拠点です。先にお話ししましたが、「お店がつぶれたんだけど、何とかならないのか」ということまでここに持ち込まれるんですよ。そこから次の議論が発生するんですね。そうやっていろんなところに足を突っ込んでしまって、自分で自分の首を絞めるという、こういう構図なんです(笑)。でも、そういうふうに地域の困りごとが持ち込まれるということを狙ったはずなので、持ち込まれたものには対応していかなくてはということですね。
太田 清蔵(おおた・せいぞう)
特定非営利活動法人NPO結の家 代表 介護支援専門員
1984 東北福祉大学 卒業
同年 社会福祉法人大泉旭出学園 旭出生産福祉園 就職
1987 社会福祉法人蒲生野会 あかね寮 就職
1991 社会福祉法人愛東町社会福祉協議会就職
2004 特定非営利活動法人NPO結の家 代表
2013 あいとうふくしモール 代表
編集後記
糸賀先生の『この子らを世の光に』を読むと、いかに多くの方々を巻き込みながら近江学園を設立し事業展開していったのかということがわかります。たくさんの協力者がいることは心強いですが、その分、それぞれの方の思いや意向に心を配り、丁寧に調整し続ける努力も必要となります。太田さんも、自分たちだけでやったら簡単なこともあるけれども、周りを巻き込みながらやらないと意味がないと、今も多くの方を巻き込み続けています。
太田さんたちのような実践に触れると、自分にはどんなことができるだろうと思いつつも、うまくタイミングをつかめずに、結局変わらぬ日々を過ごすということがあります。あいとうふくしモールの事務局拠点でもあるほんなら屋は、グループで集う場としても安価に借りられるそうです。たくさんの方々と安心な暮らしについて語り合ってきた太田さんを交えて、ファームキッチン野菜花の美味しいお惣菜を食べながらほんなら堂で夜語りする、そんなことからなら始められるでしょうか。
(聞き手 田端・石田)