小﨑大陽(こざき・たいよう)さん
社会福祉法人しが夢翔会
大津市発達障害者支援センターかほん

小﨑大陽(こざき・たいよう)さんは、社会福祉法人しが夢翔会大津市発達障害者支援センターかほんの専門員です。発達障害の人に対する相談支援や、支援者の支援として、大津市および一部市外の小・中・高・大・特別支援の各学校や福祉機関や企業等へのコンサルティングをされています。小﨑さんが福祉の仕事に就いた経緯や、福祉に携わる若い世代に伝えたいことなど伺ってきました。

(令和2年8月25日 社会福祉法人しが夢翔会法人事務局にて)

自分の気持ちに正直な人たちと出会って

もともと、教員になろうと思っていて大学は教育学部に進学したんです。当時は今と違って、介護等体験(※)というのはなかったですけど、大学に附属の養護学校があったため、大学の方針で1日養護学校の見学に行くことになりました。そこで自分の思いに正直な生徒たちを見て、見学後の感想文には、「僕は養護学校の教員になります」と書きました。そこから、特別支援学校教諭の免許を取るために、養護学校の教育実習に行きました。 教育実習のクラスでは、発熱した知的障害重度の自閉症の生徒がいました。発熱によるしんどさもあってか非常に不安定な状況で、授業中に動き回ったり他の人に手が出たりしていました。体調が悪いのでお母さんに迎えに来てもらい早退することになりましたが、お母さんにも不穏な言動をぶつけていて、この状態で家に帰っても困るのはお母さんや家族やなと思ったときに、これは昼間の時間だけではなく、障害がある人の暮らし全体を見たいという思いが出てきました。その時にたまたまステップ広場ガル(※以下ガル)の求人のビラを大学で見かけました。それがきっかけでアルバイトとして福祉の仕事を始めました。

当時、ヘルパー資格は要らなくて、大学3~4年の頃はアルバイトとして自分の車で訪問していました。自閉症の利用者を迎えに行って、よく分からないまま自分の車の部品とかもぎ取られて、「なんだ、これは⁉」と思いながらやってました。

その後、そのままガルに入職しました。1年目の配属先は行動障害の人を支援する部署でした。その時は、自分の思いを爆発させているなと思っていました。でも、世の中にはいろんな人がいるなと思い、面白かったのを覚えていますね。利用者の皆さんは裏表がなく、真っすぐで、関わっていて楽しかったです。

(※)義務教育諸学校の教育職員免許状を受けるために、社会福祉施設や特別支援学校などにおいて、文部科学大臣が定める期間(7日間)、介護等の体験を行うもの

大学生の頃、ヘルパーとして利用者と接する小﨑さん

異文化での経験から疑似体験⁉ 

小学校くらいから、海外に行くという目標があり、ずっと機をうかがっていました。そして、就職して3年たった頃、青年海外協力隊としてジャマイカへ行きました。職種はいろいろあったのですが、僕は教育学部卒だったので、障害児・者支援として体育の教育課程を作成しました。町には約2万人が住んでいて、日本人は僕一人でした。英語は話せますが、ジャマイカの文化を知らないので、ちょっとずれている、何か浮いている、目立つ存在でした。日本では普通の振る舞いでも、ジャマイカ人が見ると急に怒ってしまうことがあり、理由を聞いたら、ジャマイカではNGな振る舞いみたいなことがありました。また、日本に帰ってきてからも、面白いんですよ。逆カルチャーショックと言われるんですが、海外に2年間住んでいて異文化の生活が染み着き過ぎて帰ってくると、今度は日本で感じる違和感がすごいんですよ。成田空港に着いてから、肌で感じる安全感がすごいなと思って。1~2週間は変な感じがしていましたね。ジャマイカは万引きが多いので、スーパーの入り口でカバンを預けますが、日本では預けなくていいし、警察が来たらとりあえず手を挙げる準備をしたり、走って逃げる準備もしなくていいし。ジャマイカの人にしてみれば全然馴染んでいるレベルではないんですが、2年間で違和感を持つ状況で帰ってきましたね。異文化、言葉の違いからずれ感、違和感、疎外感を感じたことは、発達障害当事者の疑似体験のようなものだと思いました。当事者からすると違うと思われるかもしれませんが、当事者の方の話や事例を聞いて、頭で理解して、その特性によって思っていることを共感するスピードは、根拠はないですが、なんとなく速いと思います。

青年海外協力隊としてジャマイカで支援活動をしていた時の様子

高校大学に進学してから困るケース  

平成18年に特別支援教育が始まり、発達障害者支援法も施行され障害の捉え方は非常に広くなっています。大学に在籍する障害学生数は年々増加し、特に発達障害の学生が急増しています。障害者手帳や診断があることを大学が把握している学生を障害学生と呼ぶのです。発達障害の傾向があって、大学の先生が発達障害を疑っている学生でも、本人は困ってない、保護者も否定する場合は含まれません。

昔は、大学生になったら自立し、卒業したら就職して社会人になるのが当たり前と思われていた時代でした。今は大学生でも保護者が関わることがあるし、保証人にも必ず成績が送られるし、成績不良者は必ず面談をしなければいけないという文科省の方針があります。今はほとんどの大学で、障害学生支援の部署か担当者をつけるようになりました。また、障害者差別解消法も施行され、ここ2~3年で障害のある学生の支援は進みました。

大学側からよく質問されるのは、「障害者手帳は何?」という制度の話から、「過敏だったら個室と言うけれど、大学の授業で個室なんて作れないですよね」「合理的配慮で過敏性があるから、車で通学するとなると、なんであの子だけ車でいいの、という学生が出てきます」等の話があります。ただ、世の中で障害学生の支援をしなければいけない潮流が大きくなっているし大学での検討も進み、ネットで調べれば出てくる情報なので、最近はそのようなことを聞かれることはだいぶ減ってきました。

発達障害に関して言えば、福祉関係者は、「引継ぎが大事だ」「幼少期からやってくれたらちゃんと支援できる」「早期療育が大事」みたいなことを言いやすいです。でも、高校生や大学生になって初めて困る人たちがいるんですよ。例えば、ADHDっぽい、ADDっぽいと相談依頼が来る半分ぐらいの人は、「確かに小学校のころは乱暴者と言われていました」「忘れ物が多いと言われて、よく先生に怒られていました」という経験があります。ですが、あとの半分ぐらいの人は本当に何も困ったことがないです。「忘れ物もあまりない」「人間関係は良好」みたいな。学力もいいので、そもそも先生に要支援として気にされにくい面もあります。高学力の子は勉強ができるので自尊心が満たされます。学校の時間割という枠組みがあり、親がご飯を作ってくれるという状況ではあまり困らずに生きていけるんですよね。そこで演習型の自己管理的な実験の多い大学に進学すると、「一人暮らしを初めてした」「ごはんが作れない」という状況になると、とても困るんですよ。そして、高校、大学から引きこもったという人に何で引き継いでおいてくれへんかったんやと言われても、そんなの引き継げるはずないし、誰も気づかないと思います。

高校や大学で困った人の一定数は社会人になったら困りごとはある程度解消できると思います。会社の枠組みがあって、家族や奥さんがサポートすると困らずに暮らしていける人が半分ぐらいいます。本人も大学に進学して発達障害と言われ、初めて受け止める話です。「ちょっと成績がいい、バイトもそれなりにしている。その僕が支援?福祉的就労⁉」みたいな。発達障害は「早期発見、早期療育のグループ」と「高校や大学で困るグループ」、もしかしたら高校や大学を卒業すると同時に困りごとが解消されるようなケースの二面性があって、いわゆるグレーなケースの問題は、どこでどう共有しようかなと。どういう仕組みがいいんかなというのは、結構悩ましいところですね。それこそ今のように大学で困りごとに直面し、確かに本人さんは困っている状況があるかもしれないし、困っているときには何かしらの支援は必要かも知れないけれども、一貫して、発達障害だからずっと支援が必要ということでは全くないです。

世の中にはいろんな人がいることを伝える 

研修の講師として伝える時に、受講する人たちがちゃんと目の前の人を支援しようかなと前向きになることや、もう少し広い視野で、広く捉えてみようかなと思える気持ちづくりを一番大事にしています。当事者さんの気持ちに立てる、寄り添える感性や人と接する時の基本的な振る舞いはしてほしいです。そして、目の前の利用者さんが気持ちよく過ごしてもらうための引き出し(技術)はたくさん持っておいてほしいと思います。

ある高校から研修の依頼がありました。ある生徒は発達障害の傾向があり、明らかに困っているんだけれども、本人の自覚がないまま、困り続けている。それで、困っている子はちゃんと相談するように。そして、世の中には、様々な人がいるという話をしてほしいと。そのときに、発達障害のチェックリストのようなものを生徒にやってもらうんです。チェックリストをやってもらうと、「忘れ物が多い」、「空気が読めない」、「人と顔を合わさない」などの項目があり、たくさん当てはまるような人は、気軽に相談に来たらいいよと伝えます。相談は悪いことではなくて、相談して自己理解を深めれば、困ることも少なくなるし特性はむしろ強みとして生かせる、と付け加えます。芸能人や有名企業の社長さん、スポーツ選手も発達障害の傾向がある人がいますと伝えます。

また、発達障害の特性と言っても、人によって幅があり、傾向が強い人も弱い人もどちらもただの特性で、個性です。その個性を、「あいつはこうだ」「こいつはこうだ」、みたいなことを言い出すと、多分、世の中、永久にまとまらないし、きみたちのクラスは地獄やで。けんかばっかりすることになるよと伝えます。「この人はどんな人だろう?」「どういうふうに付き合ったらいいんだろう?」「最終的には自分はどうしたいのか」を考えながら過ごした方がいいよみたいな研修を、高校の段階でさせてくれるんです。そうすると、昔から発達障害の特性を茶化すようないじめもありますが、世の中には、様々な人がいることを知ってもらうと、ちょっと雰囲気が良くなるんですって。世の中いろんな人がいる、という前提でいろんな交わりが始まっていくので、みんな最終的に理解し合おうとする姿勢が少し育つらしいんです。大層な福祉の思想的な話でなくてもいいんです。いろんな人がいるということを、年齢が若いうちに当たり前に思うようになれば、世の中結構変わるんじゃないかなと思っています。

研修の講師として活動している様子
プロフィール

小﨑 太陽(こざき・たいよう)

社会福祉法人しが夢翔会
大津市発達障害者支援センターかほん専門員

大学で教育学部体育学科を卒業。障害分野の入所施設・通所施設・ヘルパー、また、障害支援に関して大学院在学や、青年海外協力隊としての海外生活などを経て、現職。現職では、大津市内・滋賀県内にて、発達障害に関する個別相談、および、福祉機関・教育機関・企業等への支援者の支援(いわゆるコンサル)や研修講師などを担っている。

社会福祉法人しが夢翔会のHP 

大津市発達障害者センターかほん

 

編集後記

発達障害の人の中には、周囲に気づかれにくく、早期発見、早期療育に結びつかない人もいます。しかし、全ての人が早い段階から療育的な支援が必要であるのかと言えば、そうではなく、発達障害は多種多様であり、一括りにはできません。高校・大学など環境やライフステージが変わることで困り感を感じたり、生きづらさを感じる人もいます。小﨑さんは、そういった人たちにも焦点を当てて、学校と連携しながら助言や相談支援を行っています。また、高校生を対象とした講演では、世の中にはいろんな人がいる、お互いの個性を認めることで理解し合おうとする姿勢を育んでいます。糸賀一雄氏も、講演や講義を通じて、障害のある人への理解の輪を広げてきました。その頃に比べると福祉サービスは充実し、障害の理解も進んできました。しかし、一方で社会が複雑になっている現状もあります。けれども、人に対する理解、多様性を認めるということの大切さは変わっていないのだと感じました。自分のことだけでなく、他者への思いやり、お互いの存在を認め合えることが当たり前の世の中になればと思います。

(聞き手 佐倉・石田)