びわこダルクの施設長の猪瀬健夫(いのせ・たけお)さんからご自身の経験談、立ち上げの経緯、地域との関係性の構築などを伺ってきました。ダルク(DARC)とは、ドラッグ(DRUG=薬物)のD、アディクション(ADDICTION=嗜癖、病的依存)のA、リハビリテーション(Rihabilitation=回復)のR、センター(CENTER=施設、建物)のCを組み合わせた造語で、覚醒剤、有機溶剤(シンナー等)、市販薬、その他の薬物から解放されるためのプログラムを持つ民間の薬物依存症リハビリ施設です。
(平成31年2月5日 びわこダルクにて)
ダルクについて教えてください
ダルクの創設者は近藤恒夫さんで33年前にダルク1号店を作りました。そこから、回復者が育っていって、ダルクはあくまでも当事者活動なので、施設長から入寮者まで全員が薬物経験者です。逆に言うと、薬物経験者じゃないとダルクのスタッフにはなれない。回復者が回復者を生んでいくわけです。これはよい伝染と近藤さんは言っています。反対に、薬物が出回っている社会では悪い伝染が起こる。誰かが覚醒剤を使うと、後輩にばらまく、奥さんにも打っちゃう、負の連鎖ですよね。そうじゃなくて、病気がよくなった人が次の人の手助けをしていく。
そして、ダルクの施設長の中には、保護司、精神保健福祉士を持っている人もいますけど、近藤さんは、基本的に当事者は資格を一切持たないほうがいいと。何でかと言うと、変に知識をつけてしまって客観的になってしまうより、あくまでもトラブルが起きたとき、当事者という形で、「あぁ、俺もそうだったよ」と言ってやらなきゃいけないから。
僕たちのプログラムは薬をやめるプログラムじゃないんですよ。なぜなら薬のやめ方なんかないから。じゃあ、我慢して、震えながら今日一日我慢してやるのかといったらそうではなくて、「新しい生き方」を実践していく。そうすることで、気がついてみると、心の平安だったりとか、何気ない日常に幸せなものが実はあるんだと気づいたり。その中に、今日一日薬が止まったという現象が現れるわけです。それを今日一日という単位でずっとやっていく。僕たちは、毎日止める練習をし続けていくのです。
ダルクのミーティングというのは、基本的には言いっぱなし、聞きっぱなし。ナルコティクス・アノニマス(NA)のように、そこで話した内容は秘密で、ミーティングの中にとどめておく。NAやダルクには様々な職種や性的アイデンティティーを持つ人が増えています。そういうのは一切関係なくて、自分が今から先どうしたいのか。それに対して、僕たちはどんな手助けができるのか。そのことだけなんでね。育ちがいいだの、財産があるとか、何年何組にいたとかね、一切関係ないですよ。一言で言うなら、変わりたいのか変わりたくないのか。
そして環境も大切。薬物をやったことがない人がいきなりインターネットで注射器買って、何だかんだで粉を溶かして打つバカはいないですよ。大麻だってね、売っているけど、本当に大麻か分からないですよね。紅茶の葉っぱかもしれない。じゃあ、誰がどう勧めるのといったら、先輩か友達か彼女が目の前で使って、「な?大丈夫だろう?おまえもやれよ」と。つまり、薬を持ってくる仲間、使おうと誘ってくる仲間ですよ。これは、マイナスの仲間です。それともう一つは、マイナスの環境。地元で薬を使った習慣、それから彼女と別れ、何回もそこでパクられている。そういった負の習慣がべっとりしみついた地元で回復しようとしても無理ですよ。
ダルクが一番最初に提供できるのは、これと正反対のものです。今日一日一緒にやめようねと言ってくれるプラスの仲間。それともう一つは、薬が使いづらい環境。これは刑務所、精神病院の閉鎖病棟が一番と思うかもしれない。でもそれは、「薬を使わない」じゃなくて「使えない」ところです。
このダルクの中に薬を持ち込むことは禁止ですから、どうしても使いたいと言ったら、使ってこいと言って出しますよ。ただし、仲間の足は絶対に引っ張ったらあかんぞと。それで駄目だと思ったらすぐに帰ってこいと。
びわこダルク外観
猪瀬さんがびわこダルクを立ち上げた理由は?
僕は仙台ダルクの職員をやっているときに、茨城グループ代表岩井喜代仁さんが「猪瀬、滋賀にダルクを立ち上げろ。おまえが行け」と言って下さりました。びわこダルクは全国で32番目にできた施設なんですね。ちょうどダルクが全国にできていくころだったんです。僕は24年前にどん底ついて沖縄ダルクに行ってから、地元に一切帰っていなかった。でも、気心知れた地元仙台、大好きなサーフィンもすぐできる、スノーボードもすぐできる。彼女もいました。右も左も分かんない滋賀県になんか来たくなかったですよ。
だけど、このプログラムにつながってから嫌なほうをとることで、僕の命は助かっているんですよ。自分にとって都合のいいほう、楽なほうを選ぶとろくでもないことになる。再使用したりとか……
ダルクを作った近藤さんが1年に1回フォーラムに駆けつけてくれて、基調講演をしてくれるんですけど、「あのな、俺が絶対施設長だけはやんないでねと言っているやつらがみんな施設長になった」と。「おまえもそう。だから、ダルクはつぶれない」と言っていました。
地域との関係づくりについて教えてください
一番大変なのは、障害者の施設もそうだけど、まず大家さんが貸すか貸さないか。それから、地域の反対。
ここの大家さんは「寄宿舎をやる」と言って挨拶に回ってくれたんですね。ここ膳所は、更生保護にすごくゆかりがある地なんです。刑務官のアパートがいっぱいあったりとか、警察官のアパートがあったりして。寄宿舎と言ったから、周りの近所の人は警察の卵が来ると思ったんですね(笑)。
僕が最初来たとき、入寮者たちに徹底して挨拶しろと言いました。それと、地域の活動は必ず出ろと。防災訓練、ごみゼロ運動、膳所神社の大祭の準備、それから稚児行列の警備、全部やったんですよ。そうしたら、1年目に膳所神社の大祭が終わって、みんなでお神酒を飲みますよね。「すみません、僕たちお酒は……」と言ったら、「知っています」と。「皆さん、警察官の卵ですよね」と。ガタイのいい男たちが昼間いるから。「そうです」と言っちゃったら、これ、大うそつきじゃないですか。参ったなと……1年間活動をこれだけやってきたから、大丈夫だろうと思って、「実はその、やっちゃいけない薬をやめられなくなった子たちが社会復帰する施設なんです」と。「ダルクというんですけど、知っていますか」と。そうしたら、「いや、ダルクは知らん。だけど、すばらしい仕事じゃないか。頑張れよ。」と言ってくれたんですよ。
だから、地域の行事は極力、運動会だろうが、テント立てだろうが、バンバン参加し続けました。そうすると、「ダルクさん、ちょっと来てよ」と言ってくれるようになった。うちの子たちにしてみると、薬を使っていた頃は「向こうへ行け、こっち来るな、おまえ早く死ね」、こういう負のメッセージばかり言われるわけですよ。ところが、今は地元の子どもたち、おじいちゃん、おばあちゃんに「こっち来い」と。まさに新しい生き方の実践です。
びわこダルク玄関
自分自身を大切にすることの意味は?
地域の活動を続けていくうちに、「俺って生きていていいんだな、役に立てるんだ」と思えるようになっていく。これはとても大事なことです。何でかというと、自己評価がものすごく低い。「今俺が、薬をたらふく食って死んだところで吹く風ひとつ変わらないんだよ」と、こういう次元の低さですから。一番大切にしなきゃいけないのは自分自身ですよ。自分のことを大切にできるから奥さんもらって奥さんを大切にできるわけです。
だから、きれいごとじゃなくて、最も大切にするべきは、最も幸せになるのは自分自身。そうすることで自己評価が上がってきます。やっぱり自己評価が低いと地元で警察に捕まったり、親にどなられたり、さらわれてやくざに焼きを食らったりとか、虫けら同然の生き方ですからね。全然知らないところに来て、自治会に入れてもらって、役に立っているということがだんだん分かってくると、「俺って生きていていいかな」とか、「ここに俺の居場所がある」とか思えるようになってくる。
あと、彼らに必要なのは、回復のサンプルですよね。俺よりひどかった奴が何で薬が止まっているのかと、そこですよね。「猪瀬っていうのはちょっとよく分からんけど、施設長だし、まあ、いいことしか言わねえよな。だけど、俺よりひどい元やくざの仲間が3か月薬止まってる」と。これが、回復のお手本になって「自分もあそこまで行けるんじゃないか」と思えてくる。僕もそうだったし……
例えば悪い子には、すごいいい人をぶつけていって、高みに持っていこうとするのが世間一般的な考え方です。ところが、そのいい人というのは彼にとってまったく雲の上の存在ですから響かないんです。ダルクはその逆で、悪い子が来たらもっと悪い子をぶつけていくんです。やくざやってきて、指1本飛ばしている人が来たら、3本飛ばしている人をぶつけて、その人がメッセージを送ればいいんですよ。病院に10回だったら、20回行った人のメッセージ。刑務所に5回行った人には、6回行って良くなっている仲間をぶつけていく。それは社会とダルクの考え方の違うところですね。
「びわこ家族会」について教えてください
薬物依存の子たちの中には、ひきこもりも多いです。インターネットだけが外部とのやりとり。ひきこもって、薬飲んで、それで何するの?って言ったら、自殺サイトかなんか見て、まずリストカットからスタートして、最後、首つっちゃいますよね。もっと早く助けられたのに。問題は何だったのかと。実は本人がひきこもったとかそういうことじゃなくて、僕に言わせると支える親が邪魔。息子や娘が死ぬまで、支え続けちゃう。だからこの家族を呼び出して、家族も教育ですよね。やっぱり第一の目的は治療の場につなげることですよ。そのためには親離れ、子離れ。本人を困らせてどん底体験させる愛情のある突き放しが必要です。
薬物依存症者は、押しつけられたことに対しては跳ね返す。ところが自分で手を差し伸べてつかんだものは大切にする。だからダルクでは全部提案という形なんですよ。回復のための12ステップというものもあるんだけど、12個の道具を目の前に置いてあげて、あなたが回復という家を建てるのにここに道具があるよ。好きなときに、好きに使っていいよって。そういう提案ですよね。例えばステップの1、2、3。1つめは、薬物に対して徹底的に自分の無力を認めること。2つめは、自分以外の力を信じること。そうすれば絶対に良くなるんだと。3つめは行動、努力するのは自分自身だけど、結果は全て目に見えない力に任せること。それを選んで実行するのはあくまでも本人ですよ。
びわこダルク内観
猪瀬さんがびわこダルクの施設長として心がけていることは?
生活保護の基礎控除額表というのがあるんですね。15,000円の収入があれば、100%15,000円返ってくるわけですよ。だけど、そこから月5,000円給料が上がって、基礎控除額が増える量が240円ですよ。誰が仕事するの?だから、生活保護というのはかかっちゃったらかかりっぱなしになるんですよ。もっと就労意欲が出るような、例えば1年勤務したら控除額表がAからBに変わり、3年続いたらBからCに変わるとか、もっと控除額が増えて、やる気につながるようなものでないといけない。だけど、もとをただせば仕事できない人たちのための法律だからということなんですけどね。
ダルクにいて生活保護を受けながらバイトするとほとんどのお金は生保減額しちゃいます。その保護費と本人の給料からダルクの利用料を納めなきゃいけないわけですよね。
片や親の経済的支援のもとで暮らしている子は給料が全部たまっていきますよね。これ、不平等じゃないですか。これを何とか平等にしたかった。家族支援の子は何のために給料をためているかというと、社会復帰のためにです。それで、大津市の福祉にお願いしたのは、社会復帰するときにアパートの敷礼を出してやってくれと。これで何とかバランスがとれたわけです。
16年活動してきて思うことは、施設長というのは入寮者に対して平等じゃなきゃいけない。家族支援の子は「頑張れよ」と励ますけど、生保の子は「ゆっくりやれ」、これは絶対に駄目ですよね。だけど、平等さと公平さというのはまったく同じじゃないですからね。平等にやろうとしたら、不公平になっちゃう場合もあるんですよ。例えば40キロの体重の子にバーベル100キロ上げろと。60キロの体重の子におまえも一緒で100キロ上げろと。同じ100キロだし、平等に見えるかもしれない。でも負荷が違うわけですよ。その子に合った負荷じゃないといけない。だから、バーベル100キロ上げるというこのことに対しては平等だけど、これは公平さに欠けていますよね。できるだけ平等で公平な方法を考えていかないといけないなと思うんですよ。
びわこダルクからメッセージをお願いします
僕らがこうしたメッセージ活動をする目的はただ一つ。苦しんでいる仲間、家族の救いになればという思いです。ダルクというところ行ったら、もう懲役も行かないでいいし、ダルクというところに家族がつながったら悩まなくなるし、家族会はみんな笑顔ですよ。平気で「うちの子、今、刑務所行っているのよ」って言える。そういうふうに変わっていきますよね、家族も。本人も懲役の後に、行く場所があるのと、ないのとじゃ全然、違うんですよ。待っている仲間がいる。薬が止まっている仲間たちが待っている。ヤクザが待っている。放免祝いで薬物を用意している。それではやめられないですよね。新しい生き方につながっていかないから。
僕たちのプログラムは突き詰めたところ、薬物からの解放です。僕たちは薬物から解放されるプログラムをやっているわけですよ。やめるプログラムじゃなくて、解放されればいい。
猪瀬 健夫(いのせ・たけお)
特定非営利活動法人 びわこダルク 施設長
薬物使用などで、高校を行き直し3つ目の私立房総学園高等学校卒業。国際武道大学に入学するが、覚せい剤事件で除籍、その後12年間覚せい剤を自己使用し、どん底を経験し沖縄ダルクに入寮。度重なる失敗を繰り返し日本中のダルクを転々とする。
茨城ダルクの代表岩井喜代仁氏と出会い回復のチャンスを与えられる。仙台ダルク寮長を経て2002年びわこダルク責任者としてびわこダルクを開設し現在に至る。