ぱんじーはProtection(擁護)、Advocacy(権利擁護)、Network(連携)、Guardianship(成年後見)のそれぞれの頭文字が名称の由来です。ご自身の経験から成年後見人を孤独にさせないこと、権利擁護支援には、多職種連携の必要性があることを信念に成年後見制度についてのお考えや、桐髙さんが大切に思うことなど活動にまつわるお話を伺ってきました。
(令和元年8月21日 甲賀・湖南成年後見センターぱんじーにて)
ぱんじー誕生のきっかけは?
私は平成7年に大学を卒業して、その後2年間は県外にいたのですが、平成9年から滋賀県で新規の特別養護老人ホームの立ち上げに関わって、生活相談員やケアマネをしていました。平成12年に成年後見制度が始まって、すぐに成年後見人養成研修を受けました。成年後見制度の勉強をしようと思ったのは、私が特養に入職したときはまだ措置制度だったので、今でいう要介護1の方とか、要支援の方で身寄りがいない人が入所されていました。そこで、いろいろな高齢者と出会って、この身寄りのない方たちをどう支えるかと考えた時に、施設では出来ないことがありました。それを追求していったら成年後見制度のことを知ったり、事前指定書(※)について思うことがありました。生活相談員の役割はもちろん重要ですが、当時の私はすごく無力というか、何も出来ないなと思うことがいっぱいありました。そういうことでいろいろ勉強するようになって、施設の仕事をしながら業務に支障がない程度で、平成15年くらいから社会福祉士会で成年後見人として何件か受任をしていました。
また、甲賀圏域で成年後見センターが必要ではないか、という動きが平成23年頃からサービス調整会議や議会で上がりました。当時は甲賀市社会福祉協議会が事務局で障害福祉分野、高齢福祉分野の関係者を中心に設立準備会が立ち上がりました。私も「権利擁護センターぱあとなあ」の社会福祉士会のメンバーとして参加していました。新しくできる成年後見センターは、成年後見人として法人後見受任をする団体というイメージで、どこの法人がやるのかという議論になったときに、受任をするなら、既存の法人が運営するのではなく、新たにNPO法人をつくった方がいいのではないかという経過がありました。地域での期待は法人後見人の受任団体の「NPO法人あさがお」さんや、「NPO法人成年後見センターもだま」さんのような団体をイメージしてできたのかなと思いますね。
当時、私は特養の職員でしたので自分が立ち上げることになるとは思ってもいませんでした。設立準備会でNPO法人を立ち上げましょうということが決まっても、誰が立ち上げるの?誰が職員として行くの?というところは決まりませんでした。そこで私に声をかけていただき、所属先とも相談して出向で行くことになりました。2年ぐらい議論され平成25年に「NPO法人甲賀・湖南成年後見センターぱんじー」ができ、今年でもう6年目です。今も出向中です(笑)。
(※)意思表示ができなくなったときに備えて、ご家族や医師と相談して どんな治療をして欲しいか、どんな治療はして欲しくないか、自分の希望を事前に記入しておくもの。
甲賀・湖南成年後見センターぱんじーの看板
設立してから方向が変わった⁈
設立当初は理事長と私の2人でやっていました。地域からは成年後見人の受任を期待されて設立されたけれども、私一人で受任をしていても個人後見とそう変わらないし、法人後見とはいえないと思いました。
設立して最初の年に幾つか調査をして、支援者もすごく困っている、困難と感じるケースがある、支援者自身がどうしていいか分からず悩んでいる現状がありました。なので、支援者の相談にちゃんと乗っていこうと、最初の理事会でたくさん議論をして、すぐ方向が変わったというか、そんな経過がありました。だから、すぐに法人後見の受任はせず、支援者の支援を大事にしたいなと思いました。
翌年の平成26年に相談員が2人になり、相談にだいぶ乗れるようになりました。でも、やはり法人後見のニーズもきっとあるだろうから、調査しようということになって、アンケート調査をしましたが、意外と今までやってきた事業をすごく評価してくれました。でも、法人後見の受任もしてほしいという意見もあったので、平成29年から受任をやっていこうということになりました。平成29年に1件受任しました。平成30年度にやっと3人目の相談員が来てくれたので、更に1件受任ができ、今は2件なのです。
ただ、受任をするというのも「どんどん受任しますよ」ではなくて、ぱんじーにしかできない法人後見があるだろうということで、他の専門職や個人で受任することが難しいケースや、報酬の支払いが見込めないケースについては、ぱんじーが受け止めようという、ごくごく消極的な受任です。みんなが「もう無理」と言ったのだけを受けよう(笑)。という感じです。
パンフレットとぱんじー通信
高齢者・障がい者なんでも相談会はお得⁈
「高齢者・障がい者なんでも相談会」は、もともと岡山県でやっていたのが始まりです。その後、滋賀県では大津市の「NPO法人あさがお」さんが始められ、私は大津での相談会に社会福祉士会の一人として、参加させてもらっていました。面白いなと思って、ぱんじーでも絶対やりたいなと思っていました。それはなぜかと言うと、いろいろな職種が一堂に集まるという機会が持てるからです。なんでも相談会は弁護士、司法書士、社会福祉士、行政職員、社協職員などが相談内容に合わせて、複数で相談に乗ります。つまり、相談会を通じて様々な職種の人と関係が持てるし、他の職種の人がどんな対応をしているかというのが見えるので私自身すごく勉強になりました。相談内容は成年後見制度についてだけではないので、法律家の人たちはこんな視点で見ているんやとか、すごく勉強になりました。あと、自分が悩んでいるようなことも控室ですぐ聞けるので、こんなお得なことはないです。
弁護士さんや司法書士さんは逆に福祉の立場での助言内容にすごく興味を持ってくれていて、「そんなふうに対応するのか」とか「そういう相談の仕方をするんやね」みたいなこともあり、お互いメリットがあると感じました。
司法関係の人たちは何かすごく敷居の高いイメージがあって、普段はあまり接することはありません。相談会をする前は自分がケースを持つ中で、司法関係の人たちに、どこでどうやって相談したらいいのかなということも分からなかったのですけれども、相談会で出会ったことでその後も連携が続いています。甲賀圏域は司法職の数が極端に少ないのです。今は他の圏域の司法関係の人たちに助けてもらっているのですけれども、出会いはこの「高齢者・障がい者なんでも相談会」。そこで少しでも関わりがあれば、連携して、つながって離さないぞみたいな(笑)。
支援者が孤独を感じないように
ぱんじーができる前、私が個人で成年後見人として受任していたときに、後見人はすごく孤独だと感じました。裁判所から審判書が届くだけで、「この人はどこにいる人?」みたいなところから自分で探して始まるのですよ。だから、すごく孤独。行ったら行ったで「ああ、後見人さん?」みたいな感じでめちゃ冷たいし(笑)。また、被後見人の方にはすでに支援チームがあると思うのですが、後見人さんはチームに入りにくいのですよね。だから、後見人が付いてから、ちゃんと後見人さんを含めたチームの再編成をします。ぱんじーが関わっていないケースとかは、いつの間にか、後見人さんが付いていましたとか、後見人である弁護士さんに連絡を取りにくいし、後見人さんはケース会議にあまり召集されないから、やっていることすら知らなかったりすると「後見人は何もせえへん」みたいなすれ違いになったりするから、ちゃんと支援チームに入りやすいような環境を整えたいと思っています。ぱんじーが関わったケースはもう後見人を孤独にさせないのがテーマなので、絶対、顔合わせ会議をします。
また、相談支援をやっている障害分野の相談支援専門員さんやケアマネさん、地域包括支援センターの職員さん達のことも支えないと困難な事例に対しては立ち向かえないだろうなというのがあったので、なんでも相談会もそうですが、事例検討会などの研修の企画をして、支援者さんの支援を続けたいと思います。
研修会は司法書士会リーガルサポート滋賀支部と共催でやっていて、司法書士さん、行政職員さん、福祉関係者が一緒のグループで一つのケースを話し合いながら、アセスメント手法などの研修をやるのですけれども、多職種連携、支援者支援の一環と考えやっています。
相談対応時の様子
成年後見センターをいつか権利擁護支援センターへ
平成28年に「成年後見制度の利用の促進に関する法律」が施行されました。この法律の考え方自体は成年後見制度をどんどん利用するように進めようではなくて、「権利擁護支援を進めよう」なのですね。地域の中で権利擁護支援の必要な人にきちんと支援が受けられるような仕組みをつくろう、全体の権利擁護支援がちゃんと促進されるような地域をつくろうというのがこの法律の本当の目的なのですよ。だから、そこは何でもかんでも後見人を付けて、後見人が代理権を持ってというものではないのですが、こんな名前になったので、誤解されやすく、なかなか理解が得られにくいし、法律の中でどれだけ権利擁護が必要な人の支援を地域の中でつくっていくかという仕組みをつくるのはすごく難しいなと思います。「権利擁護支援促進法」にしてくれたらわかりやすかったのかもしれませんね。「成年後見センター」も「権利擁護支援センター」に本当は変えたいなとは、私は思っていますけれども(笑)。
年間、たくさん相談に来られるのですけれども、成年後見が必要でない人には「あなたは必要じゃないですよね」みたいな話をするし、ご本人にちゃんと納得をしてもらうところに時間をかけているので、申し立てまでに何年もかけて話をしていくようなケースもあります。
また、認知症の方がお金の管理をできなくなって、最初から「あなたはお金の管理ができなくなったので、私たちが来ました」と言うと「自分で出来ます」と拒絶されるけれども、「これからの老後をどうやって送っていくか、一緒に考えましょう」と言うと「この人たちはお金を取りにきた人ではないんやな」とだんだんと話を聞いてくれることもあります。でも、そうやって関わっていくと、やはりお金の管理で困っておられるのがわかります。お金のことに困って、ご本人も困ったと思ってくれはったら、そこの困ったことに関してこういう支援の仕方があるから、そのためにはこんな制度ですと説明しています。最初から受け入れてくれる人は少ないですけれども、何回か出会っていくうちに、受け入れてくれることもあるので、始めの出会い方は意識しています。客観的にみても支援が必要な方でも「自分でできる、自分でやりたい」と思っている人もいます。理解していただくために時間をかけています。「もう帰れ」と言われることもありますけれど、行きつ戻りつです。
成年後見制度利用促進基本計画ができたおかげで、私たちが今までやってきたことが間違いではなかったというか、自分で言っていますけれども、良かったなと思っているのですね。委託事業だったので、いつ何がどうなるか分からないという不安定さや「来年、どうする?」というのを毎年市と協議をしないといけないので、長期的な見通しというのがなかなか持てなかったのですが、成年後見利用促進法ができ、成年後見制度利用促進基本計画の策定ができて、ぱんじーが中核機関だと認めてもらったら、運営は多少安定するかなと思っています。
今後、ますます相談支援というのは大事になってくると思うので、そこにもっと力を入れていきたいです。でも、そのためには人材も必要です。どこも人材不足でぱんじーに限ったことではないですが、権利擁護支援に興味を持ってくれる人がいるといいなと思います。地域から「権利擁護のことや成年後見の話をして」と言われたらいろいろなところへ出前講座として行っています。そうやって出掛けていくことで権利擁護の普及にも繋がると思っています。
桐髙 とよみ(きりたか・とよみ)
NPO法人甲賀・湖南成年後見センターぱんじー所長
大学を卒業後、社会福祉法人浜島町(現 志摩市)社会福祉協議会就職
平成9年より 社会福祉法人甲南会 特別養護老人ホームせせらぎ苑就職。
平成25年8月より 現職
編集後記
桐髙さんは、特養で働いていた時の利用者さんとの出会いやご自身が成年後見人として活動されていた時に感じた孤独感が、活動のルーツだとインタビューでおっしゃっていました。だからこそ、支援者の思いや苦悩にも共感できるし、現場を知っているからこそ実践できるのだと感じました。名称は「甲賀・湖南成年後見センターぱんじー」ですが、積極的に成年後見人をつけるのではなく、自分で意思表示ができなくても、どんな人にも意思はあり、個人の権利を守ることを大切にされています。また、権利擁護の普及啓発や支援者がひとりで抱え込まないよう連携を大切に考えられ、多種多様な職種で構成されたなんでも相談会や司法関係の講師を招いた研修に力を入れておられます。糸賀一雄氏も障害ある方の理解の輪を広げるため、当事者や家族、現場で働く支援者、一般の方に広く講演や講義活動をされていました。人一倍責任感が強い人や周りに相談できる環境がない人などは、ついつい一人で抱え込んでしまいそうになりますが、相談できる場があることは支援者にとって心強い存在だと感じました。
(聞き手 佐倉・石田)