独立行政法人 国立病院機構 紫香楽病院 主任児童指導員の田中真史(たなか・まさし)さんはもともと、保育を専門に学ばれ、保育士として働かれていました。障害がある子もない子も、全てのお子さんに精通した保育士を目指されるなかで、児童指導員の資格も取得。その後、保育園の保育士、幼稚園教諭を経て現職となられます。児童指導員ならではのやりがいや課題意識についてお話しをしていただきました。
(平成30年11月29日 紫香楽病院にて)
児童指導員というのは具体的にどういったお仕事でしょうか?
病院と外部の関係機関や行政等、また、利用児者本人とその家族の支援のつなぎ役でもあり、窓口でもあります。院内外において様々な支援をさせていただいている所ですので、病院にはわがまま言って自由に動かせていただいています(笑)。紫香楽病院は厚生労働省から指定発達支援医療機関として指定を受けている病院として医療型障害児入所支援と療養介護を提供させていただいています。母体が病院ですので、いいか悪いか別としてこれまで福祉の機能があまり表には出てきていませんでした。これは私の見解ですが、利用児者さんへ同じ医療を提供するとしても、例えばびわこ学園さんのような民間の施設さんだったりすると、福祉の中の医療というイメージで、紫香楽病院においては医療の中の一部の福祉というイメージをもっています。いずれにせよ同じ療養介護や医療型の入所支援を提供している所ではありますが、特色の違いがあると思っています。
私が所属しているのは、療育指導室という部署です。そこは診療科の一つとして位置づけられていて、そこには保育士と児童指導員が在籍しているという組織図になっています。
業務の内容としては利用児者さんに対する発達支援や生活の支援、活動の提供や相談支援等を行っています。利用児者さんの活動がより充実するように企画、展開したりとか、療育的な視点をもってかかわったり、楽しんでいただける行事を企画したり運営したりする役割ですね。
院内における重症心身障害児(者)(以下、重心)の方の活動というと、どういったプログラムがあるのですか?
見るとか、聞くとか、触るとか、五感に働きかけるような活動が中心になりますね。利用児者さんの運動機能や認知機能等においてはそれぞれに特徴をもっていますので、活動や支援の環境設定がとても重要な要素になっています。いずれにせよ様々な経験や体験を重ねていってもらえるようにすることが活動の基本になります。私たちが目標としているのは、利用児者さん一人ひとりの思いや特徴にあった活動を通して、受動的ではなくて、能動的なご自身の楽しみになる活動になるように関わるということです。
例えば、単に音楽を使用した活動であっても、ただその音楽のメロディーを聴いたりとか、リズムを聴いて楽しむとか、ああ、いいなと思ったりする方もいれば、もう少し発達的に上がっていくと、例えば「あっ、この曲がいい」とか、「あの曲がいい」とかという曲を選んだり、リズムを選んだりする方もいます。他にも、「この歌詞が好きだ」とか、「この歌を聞きたい」とか、「バンドが聞きたい」とか「クラシックがいいわ」とさらに細かい趣味や好みが出てくる方もいます。また、触れるといった活動においても、最初は触れさせてもらうことから始まり、何か不思議な感触とか手触りとかで、感触が分かってきだすと、「これ自分で触ってみようか」と能動的な活動になるように働きかけます。さらにそれが何か気になってきたら、これ何だろうと見てみたりとか、もっと触ってみようかなと少しずつ内面的な思いとか、気持ちとか、その活動をしてみようという意欲だったりとかにつなげていけるように活動を工夫しながら設定をしています。
医療と福祉の視点の違いで、児童支援員ならではの難しさや課題みたいなものはあるのでしょうか?
もちろんあると思います。病棟の師長さんは「ここは病院です」と言って、僕は「ここは病院ではありません。生活の場です」と言って、利用者さん(患者さん)の何を優先するかで口論になることもあるんですけどね(笑)。それぞれの職種としての使命感や考え方に違いがあると思っています。方向性は一緒だったとしても持っている技術も違いますし、知識や専門性も違います。それでやっぱり病院というのは、あくまで生を守る場所で、安全を守る場所という形になりますので、リスク管理というのはものすごく徹底されているところです。
例えば、呼吸器のついたお子さんが外に出たらリスクが上がります。だけど外に行かないと外のものには触れられないですよね。その子の人生にとって外の景色を見られないまま、10年寿命だったとして10年生きる方がいいのか、外に出てしまったら3年しか生きられないけど、でも外の世界が知れるというのがいいのか。もちろん実際はこんな単純な話ではなく、もっと複雑なのですけど、でも、どっちがその子にとっていいのかなという支援者側の悩みは尽きることはないと思っています。医療の現場は、安全を守らなきゃいけない、それが義務でもあり、生を守るというのが一番の優先事項です。一方で、福祉の側から行すれば、楽しい、本人が少しでも生きたいと思える、そういったところをやっぱり目指したいなと思っているところがあります。これは多分個人的な価値観や考え方によってはだいぶ差が出てくるので、医療だからだからこうだとか、福祉だったらこうだとかと決めつけるものではないとは思いますけど、そういった違いがあるのではないかと思っています。
どっちも大切だし、そこを融合させるのはすごく難しい。安全には最大限に配慮します、けど、楽しいことしよう、遊ぶ時は遊ぼうねという気持ちをもって支援することが大事であると思うんですよ。だから病院としてもきっちりと管理するところは管理しよう、だけどその子が楽しくなる習慣とか活動というのは積極的に取り入れていこうよというのが多分一番いい形なのかなと思います。
三雲養護学校(紫香楽校舎)が廊下によりつながっているという特徴もありますが、学校の先生とはどのような関係なのでしょうか?
現在、18歳未満の方が23人いて、未就学のお子さんが7名、あとは小中高合わせて生徒さんは16名いらっしゃいます。登校が可能な方については、隣接している校舎から先生に迎えにきてもらうかたちで通学をして、そこで授業を受けています。お昼になると、病棟でご飯を食べて、また学校に戻って授業をしてというかたちになります。あとは呼吸器をつけていたりとか、ちょっと校舎まで行くのが難しい児童さんについては、ベットサイドに先生が訪問に来てくれて授業を受けていただいています。授業のある平日は先生も毎日病棟にいらっしゃいますし、連携、協力体制は十分に取れているのではないかと思います。
ただ、その連携が病棟での支援と混在しないように意識をしています。病棟にずっといる教員(先生方)は、病棟の職員と同じ支援者の感覚になってしまうことがあります。児童さん一人の介護や生活の支援を病棟の職員と同じ感覚で考えたり実施したりしてしまうと、そこは本来専門とする機能が違いますので、ここ2,3年くらいかけて少しずつ具体的にお互いの専門性を軸に支援の整理をしているところですね。例えば、病院で行事を行う際に、本来であれば病院の行事であるわけなので当然病院のスタッフがすべてを取り仕切って実施するべきなのですが、「連携した支援」という目的のもとに先生方が一部の行事に中心的な関わりをもっていただいている事がありました。もちろんそれは、善意による病院、学校双方の利用児者の方への支援を考えた結果であると考えていますが、改めて「教育」と「福祉の支援」とをお互いに考えることで双方の支援の連携のあり方を見つめなおしているところでもあります。
ただ、これだけ密接していて関わっている以上、完全に「学校」と「病院」と分けてしまうのも利用児さんにとっては不利益になる部分があるのではないかと思うところがありますから、お互いの支援がちょっとずつにじむところがあってもいいかなとも思っています。それが完全に一緒の色になってしまわないように気をつけながら調整しているところですね。お互いがお互いの専門的な仕事を通して児童さんに支援をしていければいいのかなと思っています。
児童指導員として働いておられて、どういったところにやりがいや面白さを感じますか?
そうですね。様々だとおもっています。私の仕事は、ご家族とか、関係機関などの関係者と本人との間の関係性を取りもつような役割です。例えば、ご家族が短期入所を利用してみて、「よく休めた、リラックスできてよかった。今まで張りつめていたものが少し楽になりました」というような話であったり、在宅の方が入所するというのはすごくハードルが高いので、その時に、いろいろと話を聞かせていただいたり、説明をさせていただく中で「あなたがいたから入所に踏み切れました」とか、「(入所に関して)考え方が変わって気持ちが楽になりました。」とか言ってもらえるのは嬉しいですね。少し思い悩んでいたご家族がそれで解放されたりとか、考え方の角度が少し変わったりとか。そのおかげで、利用される本人さんへの関わりや思いを見つめなおしていただいたり、前向きにご家族として気持ちを整理されている様子を見たり、聞いたりすると関わってよかったなぁと思います。
他には、外部(社会)とのつながりを利用児者の方々に持っていただくためにも一般企業さんの社会貢献の活動等について積極的に受け入れるための調整も行っています。(株)ユニバーサルスタジオジャパンや(株)エプソンさん、(株)オリエンタルランドさん等、それぞれがもっていらっしゃるコンテンツ(キャラクター、エンタテイメント、プロジェクター、人材等)を活かした活動を展開していただきました。実際には、お越しいただくにあたって調整が難しい部分もありましたが、実施にこぎつけた時の利用児者さん方の表情や職員からの「すごくよかったね」との感想を聴く時もとてもやりがいを感じます。
重症心身障害等、重度の障害をお持ちの方への介護や医療は、成果が顕著にあるわけではないですし、生活の支援がどうしても平たんになってしまいがちでもあります。だから私達児童指導員が、皆さんが楽しんでいただける企画をして、利用児者さんも職員も楽しい、うれしいとなってくれたら良いなと常に考えています。職員も楽しくて、うれしくなったら、当然日々の支援の向上にもつながりますし、利用者さんとしても生活に張りが出て楽しくなるだろうし、こういう日常で経験することが難しい、ある意味目立った活動の刺激がいろんなところで相乗効果を生んでくれたら良いなと思っています。
重心の方とのコミュニケーションについて、意識していることなどあれば教えてください
いいのかどうかは分からないですけど、言葉を選ばずに言うとしたら、あんまり頑張らない(張り切らない)ようにはしています。必死になってその思いをくみ取ろうとか、必死になってこの子とコミュニケーションをとろうというようなところはあんまり思ってはいないです。逆に、ふっと、横にいた時に「元気にしていました?」とか言って、体に触れながら表情を見ながら自然な形で接するようにしています。この方が重症心身障害の方だから一生懸命くみ取らなきゃというふうに思ってしまうと、どうしても考えすぎてしまうのではないかと思っています。あとは、あんまりベタベタ話しかけられたとしても、僕らだって、嫌じゃないですか。「あんた、誰やねん」みたいな(笑)。もし私が逆の立場であれば、「こっちがしゃべれないのをいいことにワーワー言うてくるなよ」とかと思ったりすると思うので。あくまで自然な形でのコミュニケーションでありたいと努めていますね。
地域とのつながりづくりについてどのようにお考えですか?
平成28年に紫香楽病院へ赴任させていただいた当時、私の上司である副院長より「地域とのつながりがほとんどないんです、どうにかつながるきっかけを今模索しているんです」というようなお話を伺いましたので、「じゃあ、ちょっと地域に行ってきます!」と、いろいろと院外に出向かせていただきました。地域で必要とされる機関として在宅支援や地域交流を取り入れていかなきゃいけないというところは、国立病院機構全体の目標でもあるのです。
ですが、病院の立地の問題もあり、「紫香楽病院が何やっているか分からない」というのが今までの現状でした。紫香楽病院がこういうことをやっていて、こういうことができますよって、われわれも地域の関係機関の一つとして機能していきたいというのはもっとアピールしないといけないと思いましたし、まずは病院を知っていただかないと利用してはいただけないですし、頼りにはしていただけないと考え、積極的に甲賀地域のサービス調整会議やその他の外部機関との連携会議等にも出席させていただくようにしました。
昨年、国立病院で行う総合医学会があって、この3年間、紫香楽で行った外部との連携等について、また院外での活動をまとめた研究発表をさせていただきました。地域にどれだけ出て行ったら地域に開かれるのかということで、スケジュールを過去3年分くらい全部調べ上げて、どのくらい院外へ出た活動を行っているのかと改めて確認したら、年間30日か40日院外にいた結果となりました。「あ、こんなにも出ていたんだ」と正直、思いました。「病院を空けたままにして申し訳ございません」と、院内の職員へはその結果をもって謝ったりもしたんですけど(笑)。ただ、それだけ地域で活動をしていかないと、認知度というのは上がらないだろうなというふうには思っています。
現在では、少しずつではありますが紫香楽病院のことが関係機関等の皆様からも周知をいただくようになり入所や入院、短期入所等、在宅支援に関すること等のご相談を聞かせていただく機会も増えてきました。次年度には甲賀圏域においても重症心身障害の方々の日中活動の場を整備する目的で新たな生活介護等の拠点が完成するとの事です。紫香楽病院としましても、地域に開かれた病院、求められる専門機関としてより多くの方に認知いただくように今後とも地域と紫香楽病院の懸け橋として取り組んでいきたいと考えています。
田中 真史(たなか・まさし)
独立行政法人 国立病院機構 紫香楽病院 主任児童指導員
保育士養成の専門学校を2年(保育士、幼稚園教諭2種免許)、その後に国立秩父学園保護指導職員養成所(児童指導員任用資格、社会福祉主事任用資格)を1年経て国立病院機構に入職。平成28年度に紫香楽病院に配属となり、開かれた病院を目指し積極的に地域の会議に参加したり、院内のイベントの企画をしたりと幅広く活躍中。