井坂篤さんは吃音症の当事者会である滋賀言友会を立ち上げられました。井坂さん自身も吃音症の当事者であり、講演や啓発活動に取り組んでいらっしゃいます。今回は経歴、滋賀言友会を立ち上げられたきっかけ、そして今後の展開についてお聞きしました。(2025年5月18日 草津市立市民交流プラザ5階会議室にて)
吃音と向きあい続けてきた人生
>ご経歴を教えてください
三重県の伊勢市で生まれて育ちました。吃音が分かったのは幼稚園に入った時です。幼稚園に入るまではあんまりしゃべらない子だったので、気づかなかっただけかもしれないのですが、自己紹介の場面でしゃべれないということから、吃音が発覚しました。みんなの中にポツンといるような、あんまりしゃべらない子だったので、いじめとかも特になく過ごしていました。
小学校からは苦労しました。自己紹介や音読のときになかなか言葉が出てこなくて、真似をされたり、笑われたり、からかわれる感じでした。先生もあまり理解がなかったので、例えば、九九を言わないといけないときに全然言えなくて「言えないのは練習してないからや」と言われたりしましたね。そういう意味では小学生の頃は友達も先生もあまり好きじゃなかったです。ただ、当時は不登校というわけにもいかず、学校には毎日ちゃんと行っていましたし、生活はなんとかできました。
中学生になるとからかいが結構エスカレートしてきて、極端なことを言うと「生きているのがつらい」みたいなときもありました。唯一、転校生で理解してくれる子が友達になってくれて、それでなんとか中学はやり過ごせた感じです。 私たちが中学生の頃は吃音というのは結構いじめの対象になりました。
高校は幸か不幸か、進学校に入ることができました。みんな自分のことで精いっぱいなのでいじめや、からかわれることもあまりなく過ごせました。ただ、英語の先生が、授業で、私の番が回ってくると読めないことが分かっているからか、何も言わずに次の人に飛ばしてしまうみたいな感じのことはありましたね。高校生まではそんな風に過ごしました。
大学受験は英語の先生が嫌でぜんぜん英語を勉強しなかったものですからちょっと失敗しましたけど、一浪して岐阜県の大学に行きました。大学でも、自己紹介をすることはありましたが、本を人前で読むというのは少なくなりましたから苦労はあまりなく、だいぶ楽になりました。ところが就職となると面接がありますよね。受ける前のドキドキ感というか、緊張感がすごくあってこれはかなり苦労しました。なんとか就職はできたんですが、面接のエピソードがあって、面接官だった当時の人事課長さんに、自分の名前が出てこないので仕方なく「吃音なんです」という話をしたら「『吃音なんです』って自分でちゃんと言えてるじゃないか、大丈夫や。それが言えるんやったら、そのうち自分の名前も言える。 出てくる」と言ってくれて、スッと名前を言えたんです。その面接官がもっと違う言い方だったら全然だめだったかもしれませんが、無事に松下電工という会社に就職することができました。そういう意味で人に恵まれたなと思っています。
就職してからは、会社の朝礼で社訓を言わないといけないというのがあって、何回言っても読めなくて、他の人に変わってもらうとかしていましたね。あとは事あるごとにプレゼンテーションをしないといけないので苦労しました。
吃音は「この言葉はどうしても出てこない」というのがあるので、出てくる言葉に置き換えるという工夫をします。普通の方が数回練習するところを、本当に何十回も練習をしないとうまくやれないんです。本当は、言い換えずに吃音のまましゃべっても良いんですが時間制限もありますし、いざ、自分ではうまく言い換えられたと思っていても、聞いている側からすると「なぜ回りくどい言い方をしているんだ?」 と指摘を受けることもありましたね。そんなこんなでなんとか定年まで勤めました。
定年が近くなったころ、特例子会社に代表取締役という立場で出向することになったんです。本社にいた時は吃音であることをできるだけ悟られないように言い換えをしながらやっていたんですけど、最初に挨拶するときに自分のこともやっぱり皆さんに知ってもらわないと、という思いがあり、吃音であることを話したんです。そうしたらすごく身近に感じてもらえたようでお互いに接しやすくなりました。 最初は「本社から偉そうな人が来た」という感じで見られていたと思うんですが、社長室にもしょっちゅう来てくれたりするようになったので、そういう意味では吃音のことを話してよかったと思います。
言友会との出会い
>定年退職後すぐに、言友会の立ち上げをされたのでしょうか。
2回同じ会社に出向しているんですが、2回目の出向のとき、それが定年退職の2年前ですね、その時期に言友会っていうのを初めて知ったんです。実はそれまで言友会というものがあると知らなくて、なんで自分だけこんなに苦しまないといけないのかと、自分ひとりで苦しんでいました。たまたま、その頃に福山雅治さん主演の「ラブソング」というドラマがあって、ドラマのヒロインが吃音の人の役だったんです。ネットで見てみると言友会という組織に吃音の指導を受けて役作りしたと載っていて「言友会って何やろう?」と思って調べたのがきっかけです。全国にこんなんがあるんやって初めて知り、もっと早く知っていたら楽だったのになあと思ったのが、最初の感想でしたね。
他にも、たまたまその年に新聞を見ていたら、新入社員が吃音を叱責されて命を絶ったというような記事が出ていて「自分も苦労してきたけれど、こんなにも苦しんでいる若い人がいるなら、なんかせなあかんな」と思い始めました。その時になにか活動したいと思ったんですが、自分が組織を立ち上げるなんて力はまだないと思っていたので、京都言友会に2年ほど参加してみることにしました。そこで、全国言友会連絡協議会の理事長や、関係者と知り合いになることができて「滋賀にもこんなん作ってみたいんです」という話をすると「ではやりましょう」という話になりました。最初から言友会として立ち上げたのではなくて、吃音の集いみたいなものをやりましょうと言ってやり始めたのが数年前ですね。それを2年で3回ぐらいすると、滋賀県にも参加される方、こんなにたくさんいるわっていうのがわかったので、言友会を立ち上げようということになりました。
>幼稚園の頃からご苦労をされていたということですけど、その時には全く情報がない状態だったんですか?
そうですね、まだネットも何もない時代なので、母親がいろいろ調べて、吃音を矯正するようなところを探してきて、2~3カ所ほど行ったことがあります。1つはどちらかというと、精神的な部分にすごく焦点を当てられて、気持ちを落ち着かせるというやりかたで、私にはあんまり効果がありませんでした。自分の気の持ちようもあるんでしょうけど、なかなかよくならなかったんです。後はメトロノームを使ったりとか、そういうやり方もいろいろ教えてもらったりしました。今はスマホのアプリでメトロノームをつけたりすることができますが、当時はそんなものは無くて、メトロノームを持ち歩くのもできなかったので現実の社会でなかなか活用しにくいものでした。今は非常に便利になっているので、滋賀言友会でもたまにメトロノームをつけて音読の練習をすることはありますよ。
>今だとメールやネットが普及して、直接話さなくてもコミュニケーションが取れるシステムがありますが、以前は口頭でのやり取りが必要な場面が多かったですよね。
例えばお店でこれが注文したいと思っても、それが言えないから別の注文をするというのはしょっちゅうありました。それはみんな経験していますね。あと、電話がだいたいダメなんですよ。吃音というのは連発性、伸発性、難発性があって、小さい頃は、連発からのスタートなんですが、私はすぐ難発になってしまって、最初の言葉が発せられないから、相手からすると何も音が聞こえてこないのでいたずら電話にしかならないんです。昔は固定電話しかなかったので、結婚相手の家に電話をして呼び出してもらいたくても、まったくしゃべれないという状況で本当に結婚が潰れるんじゃないかと思ったりしました。
他にも会社に入った頃、新入社員が必ず電話を取らないといけなくて、こういうふうに言いなさい、とマニュアルで決まっていました。言い換えないと言えないんですが、マニュアル通り言えないので、違うことを言っていつも怒られていました。だから初めてメールというシステムができたとき、とても嬉しかったのはすごく覚えています。ただ、メールができて喜んでいたら、メールを送ったら電話で確認しなさいと言われてがっかりしましたが……。あとは携帯電話ができた時も嬉しかったですね。名前が表示されるので名前が言えなくても、相手が分かってくれているので気が楽でした。
人によるんですが、私はパピプペポが結構言いにくくて、その言葉が近づいてくるとドキドキしてくるんです。会社名が松下電工の時はまだよかったんですが、パナソニック電工に社名が変わったとき、電話で社名を言わないといけないんですが、「パ」が出てこなくて、その時は会社を辞めたいとまで思いました……。

吐き出しあうことで楽になれる。そんな場を目指して
>言友会を立ち上げられて、今何年目ぐらいですか?
2022年の9月に立ち上げたので、3年半ほどです。
>滋賀言友会で取り組まれている事業について教えてください。
基本的には、毎月例会をやっています。ウォーミングアップとして体をほぐすことから始めて、口ならし的なことをやったりしてスタートします。他にも、体験談発表を持ち回りでやったり、グループトークという形で、普段困っているようなことをみんなで話し合ったりしています。あとは、年に2回ほど、講演会みたいなことをやっています。吃音の人だけでなく一般の方にも参加していただいて、吃音について理解していただきたいと思っています。現状で参加の比率的にはやっぱり吃音の当事者が一番多くて、あと専門家の方、一般の方が大体2割という感じですね。
>参加者に学生の方もいらっしゃるのですか?
もちろん学生もいます。小学生から大学生の方もいます。大学院生がいたときは私が面接官の役をやって就職面接の練習をしたりしました。無事に合格してくれて良かったです。
>井坂さんのもとに相談が来るというだけではなく、お互いに気持ちを言い合えるような場作りをされているイメージですね。
私は自分の経験しかないので、皆さんに教えられることはそんなにないと思っています。自分が「こんな時にはこうしましたよ」ということはお伝えできますが、その人にその方法が合っているかどうかはわかりませんから、情報を提供して取捨選択してもらったり、お互いに吐き出し合うことで楽になれる、そういう場にしたいと思っています。
>例会も吃音でない方が参加できるのですか?
もちろんできます。今のところ吃音でない方というのはだいたい家族の方とか専門家の方です。一般の方はちょっと、今のところはまだ参加されていないですね。あとはホームページも作っていて、それも一般の方が見られるようになっています。
>広報にも力を入れていらっしゃるのですね。
そうですね。講演会、ホームページ以外にも年に一回、全言連(全国言友会連絡協議会)が作ってくれている吃音について書かれた紙が入ったポケットティッシュを駅前で配ったりしています。一般の方に吃音について周知したいなと思ってやっていますが、みんなボランティアなので人員も限られていますし、なかなか難しいところがありますね。

仲間がいる。だから抱え込まないで
>これまで周囲の理解が十分でなかったことで、精神的に辛かった時期があったとおっしゃいましたが、これからどんな社会になっていってほしいですか?
私たちの時代と比べたら、かなり理解は深まってきていると感じます。 専門家の方もかなり増えてきましたし、学校でも言葉の教室など吃音について分かっている方がいるということも聞いていますので、そういう意味ではだいぶ楽にはなったんだろうなと思います。そうは言っても、言友会に来てくれている人から話を聞くと、まだまだ合理的な配慮をやってもらえるところまでは来ていないのではないかなと思っています。どういうふうにしていいか、相手側がわからないというのがあると思うので、まだまだ苦労していると聞いています。障害者手帳を取らないまでも自分の方から「配慮してください」って言えるような環境になったらいいなと思います。
>吃音の方への配慮としてできることはどんなことがありますか?
そうですね。吃音もいろいろバラエティがありますし、自分が吃音であることを伝えたい、伝えて理解してもらいたいという方がいる一方で、自分は吃音だけど、言いたくない、知られたくないという人もいるのでそこのすみ分けは難しいです。少なくとも理解してもらいたいという方には「何をしたらあなたは楽ですか」というようなコミュニケーションを取れるようにしてもらえるのが一番いいのかなと思いますよね。 ただ、知られたくないって思っている人については、そっとしておいてほしいと思いますね。そこが難しいところなんですけどね。
吃音って100人に1人いると言われている割に、私の場合は小学生、中学生のときは周りにいなかったので、なんで自分だけ、と感じていました。 身近にいるはずなんだけど、なかなか見当たらなかったんです。でも、社会に出ると「この人吃音かも」っていう方が何人かいました。私も若い頃は吃音なんて絶対知られたくないと思っていましたからね。年代によって変わってくるかもしれませんが、やっぱり吃音がわかってしまうと昇進にも影響するかもしれないと考えてしまいます。今となったら言った方が楽に感じていますが。不思議なもので「自分は吃音なんです。だから聞き取りにくいかもしれませんけど、よろしくお願いします」と最初に言っちゃうとすごくしゃべりやすくなるんですよ。それを現役の時に知っていたら、もうちょっと楽だったかもしれないと思います。

>今後の滋賀言友会の活動ビジョンを教えてください
ビジョンというほどではないですが、吃音で悩んでいる人は、とにかく命を絶つ前に一回立ち止まってほしいと思います。死んでしまったら何もなくなってしまうので、とにかく死を選ぶ前に立ち止まってほしいです。そのためにはやっぱり周りの理解が必要なので、本当にそういう状況にある人を支えられる社会になっていかないといけないと思います。周りの人が理解して手を差し伸べられる、生きたいと思えるような配慮をいかにしてあげられるか、そんな社会を目指していかないといけないですよね。
「本当に困ったときは、滋賀言友会に来て吐き出してください。それで楽になって帰ってくださいね」というのが一番の思いです。ここに来たらみんな理解しているので、すべてを吐き出せる状況になればいいかなと思っています。自分ひとりだけではないんだよ、と伝えることが一番大事なのかなと思います。
井坂 篤(いさか・あつし)
滋賀言友会 会長
岐阜大学で電気工学科を卒業後、1982年に松下電工株式会社に入社し、主に設計技術者として勤務し、課長、部長を務めた後、2010年に障がい者雇用特例子会社の代表取締役工場長、2016年に同社長、2018年に定年退職。2018年から2019年、滋賀県環境保全協会の事務局長、2020年から2022年、滋賀県産業支援プラザの事業推進員を務める2022年に滋賀言友会を設立し会長を務め、現在に至る。
編集後記
井坂さんのご経験、特に中学時代と就職面接のエピソードは、理解している人がたった1人でもいるかどうかで人生の選択肢が変わるということを感じさせます。「もしもあの時に転校生がいなかったら」「面接の担当者が違う人だったら」それだけで井坂さんの人生は全く違うものになっていたかもしれません。若者が自ら命を絶ったと知ったとき、そしてご自身も「もっと早く言友会のことを知っていれば」という思いから、井坂さんは今の活動に取りくんでいらっしゃいます。どんな人にも1つの命。障害があっても無くても、その人らしい生き方が選択できる社会を目指すこと、その姿勢には糸賀一雄氏の思想と通じるものがあるのではないでしょうか。(聞き手 山邊・藤田)