【NEW】滋賀音楽振興会 会長/相愛大学大学院音楽研究科 教授/打楽器奏者
中谷 満 さん 【後編】

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糸賀一雄記念賞の受賞者をお祝いすることを目的に、社会福祉法人グローが開催している糸賀一雄記念賞音楽祭。その実行委員長を長年務める中谷満さんにご経歴や障害のある人と音楽を通した関わりについてお話をお聞きました。今回は後編として大阪フィルハーモニー交響楽団を退団されてから、現在までの活動、そして今後の文化芸術の展開について中谷さんの思いをお届けします。(2025年5月15日 レンタルスペースRiseにて)前編はこちら

 

びわ湖ホールを唯一無二のホールにしたい

>演奏家としてだけでなく、様々な形で音楽に携わっておられますが、他の活動についても教えてください。

 1990年ごろ、大津にびわ湖ホール(滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール)を作るという計画が立ち上がりました。どのようなホールができたらいいかという話を、音楽仲間や有識者、専門家が集まって居酒屋なんかで夜な夜な議論をしていたのですが、そこで音楽振興会を作ろうということになりました。滋賀県音楽振興会はみんなの総意というか、大同小異ということにしようという話をしていて、違う意見、違う人種、違うテリトリーの人たち関係なく、好き嫌いなく呼びかけて活動を進めていったんです。

 活動としては、音楽をやっている人たちをつなげたり、シンポジウムをしたりということをしました。ホールのあり方についても、当初予定にはなかった小ホールを作ってもらいましたし、オペラが可能なホールが関西になかったので、オペラが可能なホールにしようと動きました。どこにでもあるようなホールを作るのではなく、全国からさまざまなアーティストを呼べるホールにしたいという思いでホールの設立は進んでいきました。こういった活動がある程度進んできたところで、今度は若者の演奏家を育てるために新人演奏会を開催したりして、次世代の育成に力を入れるようになっていきました。

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手探りで始まったワークショップ

>糸賀一雄記念賞音楽祭とはどういった経緯で関わることになったんですか?

 第一回目の糸賀一雄記念賞音楽祭のプレイベントでベートーベンの「第九」をやったんですが、当時の音楽振興会の久保貞雄会長が実行委員長として取り組んでいたんです。久保会長から糸賀一雄記念賞音楽祭で打楽器に取り組むことになったから現場に行ってほしいと頼まれて、僕がナビゲーターの役割をすることになりました。現場は近江学園で、そこで子どもたちと出会うことになりました。

 実は僕は高校2年生の時に、糸賀先生に会っているんです。校長が糸賀先生とつながりがあったらしく、講堂に集められて福祉に関する講演を聞きました。そんなすごい人だとは知らずに聞いていましたが、糸賀先生という存在は心に残っていましたね。それで音楽祭と関わることになって糸賀先生という名前を聞いたときに「あの時の!」と思いました。

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>障害のある子どもたちと関わることになって戸惑いはなかったですか?

 高校時代の先輩が作業所をやっていて、吹奏楽の演奏に来てくれとか、太鼓を叩いてくれと言われて、よくボランティアに行っていました。だから障害のある子どもたちと関わるとなった時も、違和感はなかったです。「福祉」や「障害児」といった専門的な研究とか勉強は全くしていないので、知恵もなかったですね。 だから近江学園でも初めのころは手探りというか、何をしたらいいかわからなかったです。ただ一緒にいるだけでも始めは結構大変で、どのように接したらいいかということもわからなかったです。ただ、打楽器なので、とにかくシンプルに叩いてもらって、子どもたちがどういう反応をしてくれるかという実験的な側面がありました。だから、どちらかというと私が学ばせてもらったという感覚です。そこから3~4年取り組んで、和太鼓奏者の林英哲氏が来たり、僕も打楽器のグループで盛り上げたりすることもありました。グロー(当時:滋賀県社会福祉事業団)のスタッフのアイデアも聞いたりしながら、こういうことができるかもしれないね、こんなことやってみようとか実験的なことを本当にいろいろと取り組みました。打楽器だけでなく、歌やダンスなども合体して、それぞれのグループで特徴が出てくるようになりました。10年ぐらいは現場にいましたが、若い人も育ってきたので現場は託して、今、僕は座っているだけの何もしない実行委員長をさせてもらっています(笑)。

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糸賀一雄記念賞音楽祭の草創期には、打楽器ワークショップにて子どもたちとふれあった

>今の音楽祭を見ていてどう思いますか?

 今は小室等さんがプロデュースしていますよね。それまでのコンサートはあまりつながってなかったというか、1団体が終わると間が開いたりしていたのが、それを小室さんがうまくつないでくれるようになりました。あとは「障害者」というようなことにスポットをむしろ当てないで、「音楽をやる人」というものが一体になって同じステージで同じ時間の流れの中にいるというような構成にしていただいたので、一体感のあるコンサートになりましたね。 いわゆる健常者といわれる人たちから見ても、障害者という人たちから見ても、作りあげる物が一体化してきたかなというような感じがします。前はちょっと隙間があったかな?というような感じで、それぞれ活動も「させている」「させられている」という感じがあったかもしれないけれど、この活動が当たり前になってきたことで、そこが溶けてきているかなという感じがします。

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現在では糸賀一雄記念賞音楽祭の実行委員長としてご活躍

音楽をツールに、心を溶かして1つになる

>音楽を通して人と関わることの意義や意味はどういったところにあるのでしょうか?

 やっぱり音楽を通して関わることで、人は変わるんだなと思います。昨年度、信楽学園での文化芸術活動プログラムに取り組んでいても思いました。今回も手探りで、時間もかかりましたが、5月から始めて9月に発表会をやったころに距離感がだいぶ縮まったなという感触でした。

 実は子どもたちは大人のことを見抜いていると思います。いつも近くに来てくれていた子が「こうやって俺たちを社会に出そうと思ってるんか」とつぶやいたんです。 よくわかっていますよね。 もちろん他の子たちも人間を観察する力が強くて敏感だと思います。だからこそ嫌な顔をしたり、近寄ってこなかったり。やっぱりこちらの心が溶けてない、オープンにしていないから、向こうは警戒心を持ったりするんだと思います。そういうセンサーがやっぱり高いと思います。近寄ってこないのではなくて、近寄れるようにさせていない、こっちにバリアがあるということをすごく感じました。でも、一緒に演奏するという作業、空間を共有していくと、どこかでバリアが外れる瞬間があります。 太鼓を叩いていて楽しかったら子どもたちもバリアを外してしまう瞬間があるんです。 そういう心の扉がお互いに開いた感覚があると、次に会った時には挨拶をしてくれるようになりました。

>音楽を共有するツールとして打ち解けていくみたいな感覚は、学生時代やドイツの留学時代などから感じていたのですか?

 それはずっとありました。レッスンしてくれる先生もオーケストラの仲間とも、打楽器や、音楽を通して人同士が繋がったという風に感じています。オーケストラもそうですよね。音楽とかベートーベンの作品そのものについて仲間と語り合う。ベートーベンを通して語り合って、相手の考えを知って、というプロセスを通してお互いのことを知り合うことができますよね。僕は音楽があったから、生きてこられたというか、人との繋がりを持つことができたわけです。どんな人もそういったツールを持っていると思います。僕の場合は打楽器や、音楽というツールを提供できます。一緒にやりながら楽しいって言えるかどうか、楽しいと思ってもらえるかどうかは、ずっと、どこにいても考えています。

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信楽学園での文化芸術活動プログラムの様子

感動する心を育てる

>これから音楽を通してどのような活動していきたいと考えてますか?

 僕は今の世の中「心の貧困」が課題だと思っています。人間同士がもう少し顔を合わせてつながることが必要だと思います。今やその機会も少なくなっていますよね。パソコンの画面上で顔を合わせたりすることはありますが、本当に生身のハートが伝わる瞬間やその経験がだんだん薄くなってきていて、上辺だけ、形だけで、本当にハートが繋がらないことが多いと感じています。悲しかったり、楽しかったり、汚い、臭いも含めて、感じることは、やっぱり実際に出会ったり、その現場に行かないとわからないことです。でも、出会うための機会や経験が本当に少なくなっていると思います。特に今の子どもたちが感動する心を育てることが必要だと思っています。

>文化芸術の優先順位がまだまだ低い現状がありますよね。

 その通りです。本当に良くないと思います。やっぱり人間にとって必要なものというのは「感じる心」であり、教育を通して感じる心が豊かな人を作っていくと思っています。社会を作るのは人であり、それは赤ちゃんであり、子どもですよね。今後の社会を作る人たちに対して、やっぱりそこの空気を良くしないといけません。美しいものは美しいと感動する心が大切だと思うんです。もっと全ての人がピュアに泣けるように、笑えるように、怒れるように。そんな社会を目指すことが大事かな。だからこそ多様性をもっと認めていかないといけないと思います。

プロフィール

中谷 満(なかたに・みつる

中谷満氏061949年、滋賀県大津市生まれ。1968年、滋賀県立大津高校、1973年、京都市立芸術大学音楽学部打楽器科卒業。同年、大阪フィルハーモニー交響楽団に入団。1977年から1年間、旧西ドイツ国立ベルリン高等音楽院に留学。2008年大阪フィルを退団、相愛大学教授に就任。現在も相愛大学音楽部、相愛大学大学院音楽研究科教授を務める。滋賀県音楽振興会会長。関西打楽器協会副理事長、びわ湖芸術文化財団理事。2011年より糸賀一雄記念賞音楽祭の実行委員長を務める。2018年滋賀県文化賞受賞。

 

 

 

 

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編集後記

糸賀一雄氏は著書「福祉の思想」の中で芸術について次のように述べています。

芸術は万人に解されるものである。解されるという言葉がいけなければ、感動するといいかえてもよい。精神薄弱といわれる子どもたちが『感動』の世界に生きているのは、凡ての子どもたちがそうであるのと、本質的に少しもちがわない。(中略)芸術に感動する心はひととひととのこまやかな心のやりとりのわかる心であり、愛情と意欲にめざめることのできる心である。

今回、インタビュー後半に「全ての人が純粋に泣いたり、笑ったり、怒ったりすることができるような社会になってほしい」というお話がありました。それはどんな人にも美しいものを美しいと思う、素晴らしいものを素晴らしいと感じる心があって、それを表現することも自由だという中谷先生の思いであり、糸賀一雄先生の思いと通ずるものがあるのではないでしょうか。約20年前、糸賀一雄記念賞音楽祭が始まったころは、取り組みの前例が少なく、わからないこと、見えないことが多くあったなかで、中谷先生は何ができるかを考え、実践を諦めない、そして周囲の人たちを巻き込んで進めてこられました。そんな中谷先生は行動の人であり、私たちもそうありたいと思いました。(聞き手:山邊・藤田)

(引用)糸賀一雄.「福祉の思想」.日本放送出版協会,1968,p24