【NEW】てへぺろ社会科実験室
代表 沼波洋子さん(前編)

彦根市社会福祉協議会でボラカフェの運営を担当され、退職後は「てへぺろ社会科実験室」を主宰されている沼波洋子さん。哲学対話の場を作ったり、まつりを計画したり、人と人をつなげることで、彦根を中心としたまちづくりに活躍されています。活動の原点にあるものや、これから実現したいことなど、お話を伺いました。今回は前編として、沼波さんの活動の原点になった、まちおこしや子育てサークルのお話を中心にお届けします。(2024年8月6日・てへぺろ社会科実験室にて)

 

 

中山道鳥居本宿で続く「とりいもと宿場まつり」が活動の原点

>沼波さんの活動の原点は、どこにあるのでしょうか?
 私は高校まで香川で過ごして、大学入学を機に滋賀に来ました。滋賀県立大学の環境科学部環境計画学科環境社会計画専攻(現在は環境政策・計画学科)でした。当時配属のゼミでは、「中山道を歩いて楽しむことを考えましょう」といったテーマでプロジェクトを企画し、参加者を募集して、まちづくりをしていくということを学んでいました。

>まちづくりっていろいろな切り口がありますよね。
そうなんです。研究とは別に、まち歩きのイベントを企画したり、みんなで宿泊するイベントをやったり、本当にいろいろです。ゼミの研究とは別に、先生が持ってくるプロジェクトを「なんとかせなあかん」みたいに取り組んでいたゼミで、鳥居本、高宮、豊郷、愛知川あたりの人たちとは大学時代からよく交流していました。24歳の時に「とりいもと宿場まつり」(以下、宿場まつり)を地元の人たちといっしょに立ち上げて、そのまつりは今でも続いているので、私の原点といったら、やっぱりここですね。

 

>24歳というと、卒業された後も、滋賀で就職されて、活動を続けていたのでしょうか?
 一度は他県の企業に就職しましたが、1年半ほどで戻って来たんです。充実した学生生活を送っていたのに、就職したら何も満たされないように感じてしまって……。「私がやりたいことが出来る場所はどこだろう?」って考えていたとき、ちょうど中山道での活動を引き継ぐ人を探しているという話を聞いたので、「私、やります!」って手を挙げました。

 

>彦根に戻って、今の福祉につながるような仕事を始められたのですか?
 いや、仕事探しは本当に苦労しました。食べていくために仕事はしなくちゃいけないのですが、まちづくりをしたいと思っても、そんな求人は出ていないし、お給料も限られている。そのころは、「仕事は仕事」「やりたいことは全部ボランティアでやる」といった感じで生活していました。私の心を充実させるものと、生活を充実させるものの違いはなんだろう? どうしたら両立できるんだろう?そんなことを考えながらモヤモヤしていた時期ですね。その後、27歳で結婚することになり、3年ぐらいして子どもにも恵まれました。そこからですね。「よし!」って、気持ちになったのは。生活の基盤が整って、「やっと、やりたかったことができる」と思いました。

 

子育てサークルの活動は、完全に福祉の領域に入り始めていた

>子育てしながら働くという大変さもあったんじゃないですか?
 逆に、子育てをすることで、視野が広がったなと感じました。宿場まつりでも、ママ友同士で「子どものためのブースを作ろう」とか、彦根市から委託を受けて子育てサークルを作って、育児教室みたいなことをやったりしました。自分たちで講師をして、1年間の企画を考えて、やろうと思えばできちゃうんですよ。このあたりの活動は、完全に福祉の領域に入り始めていましたね。

 

>宿場まつりの取り組みもつながっているんですね?
 宿場まつりをやっていると、いろいろなところに顔が利くようになるし、つながりも生まれてくるんです。あるとき、知り合った中学校の校長先生が「自由に学校の芝生を使っていいよ」って言ってくれて、用務員のおじさんが水まきするタイミングで子どもたちを学校に連れて行って、みんなで遊ばせてもらいました。「芝生、使えるらしいよ」「水まきするらしいよ」「みんなで遊んだら、めっちゃ楽しいよ!」って声に出す、これが私のやり方です。アイデアを考えて、参加者を募って、仲間をつなげて。多いときは子どもだけで30人ぐらい集まるし、親も入れたらもっといたでしょうね。

 

>イベントの参加費は集めていたんですか?
 まったくの無料でした。だって、子育てしているだけだから(笑)。例えば市営のプールに行っても、そこにいる人と仲間にはならないと思うんです。アイデア出して、楽しいこと考えると、みんなが仲間になるので、結束するんですよね。ちょっと、悪だくみしているみたいな感じ(笑)。校長先生も地域に開かれた学校を目指していて、「授業中に校庭から子どもたちの声が聞こえるのって、いいよね」って言ってくれました。そういった感覚が合う人と取り組むと、面白いことができるなと感じます。

 

 

みんなが課題に感じていることを、解決するのが私の仕事

>福祉につながると感じたのは、どんなところですか?
 「なんか、このまちの子育ては明るいな」とか、「地域の人たちが楽しそうだな」って空気が生まれること。まちの雰囲気って、にじみでてくるものがあると思うんです。子育てサークルで楽しんだことがまちに還元されて、教育の場にもちょっと貢献している。課題を解消するとか難しく考えるのではなく、周りをちょっと良くしようと思って活動したら、それが福祉の領域で、「自分で作る福祉」だったと感じています。

 

>「自分で作る福祉」って、簡単にはできないですよね。
 子育て支援は受けるものではなくて、自分でやったほうが楽しいものができる、みたいな感覚だったんです。それまでは、子育て支援センターに行って、ボランティアのおばちゃんたちにどう楽しませてもらうか、みたいなところがあったと思うんですけど、自分たちで子ども向けの教室を開きたいとか、ちょっと違うことをやりたいってお母さんが周りにいたタイミングでもありました。ボランティアの方には、後方支援で支えていただきました。


>初めての子育てで、課題を感じることはあるでしょうけど、すぐに自ら動いて実践されるのはすごいですね。
 課題がどんどん見えてくるし、私がそれまで勉強したものを活かす場は「ここやな」って。みんなが課題に感じていることを、解決するのが私の仕事だって感じました。私は、彦根のまち全体を良くしようとかまでは考えられない。私が住んでいる見える範囲の地域、身の周りの環境を良くしたい。そのためにどうしたらいいんだろうと考える。子育て期は、子どもを通して課題が見えてきました。仕事ではないのでお給料はないんだけど、本当に得るものが多かった時期でしたね。


>仕事では満たされなかったものが、自ら動くことで満たされたんですね。沼波さんが満たされるポイントというと?
 なにかに貢献していると感じることだと思います。貢献感ってなんだろう?って考えると、自分がやりたいことを広めて、仲間が広がっていくことの喜び。属性が似ているからつながるのではなくて、同じ課題を感じて、ともに動いて解決することで生まれるつながり。この時にできる仲間は、ちょっと次元が違うんですよね。


>現在でも、つながるということが活動の根底にありますか?
 これは、後半の話にもつながるんですけど、自分も含めて「人とのつながり方」がどんどん下手になってきてるなって感じています。私自身も子育てサークルでは、話し合いが下手だったなとか、意見を通しすぎたなという反省が今でも残っています。その後、就職した彦根市社会福祉協議会での取り組みを経て、今ではまったく別のアプローチでつながりを生み出す活動をしています。子育てサークルのときの気づきがあったから、今があると思います。

 

(後編につづきます)

プロフィール

沼波 洋子(のなみ・ようこ

てへぺろ社会科実験室 代表

滋賀県立大学で環境社会計画を学び、「とりいもと宿場まつり」を立ち上げるなど、まちおこしを実践してきた沼波さん。子育てサークルを立ち上げるなど、目の前の課題を解決するための活動を続けてきた。

2019年からは彦根市社会福祉協議会でボラカフェを担当。2024年3月で退職し、てへぺろ社会科実験室を主宰。哲学対話や勉強会を開催するなど、地域のコーディネーターとして活躍している。