大津市内にあるNPO法人IL逢坂福祉会で理事長をされている富田賢二さん。滋賀県で働くきっかけや、法人を立ち上げたときの思い、そして今後の展望についてお聞きしました。
(2024年1月19日 IL逢坂福祉会 生活介護事業所IL Gardenにて)
「このままでええんか、福祉とかいいんちゃうか?」
>福祉業界で働くようになったきっかけを教えてください。
生まれは大阪ですが、滋賀県に小学生低学年のときに父親の仕事の都合で引っ越してきました。実は大津育ちなんです。高校を卒業してからはパチプロになりたくて東京で1年間パチスロ生活をしていました。その後、19歳で滋賀県に戻ってきて工場に勤めましたが、医療従事者の父親に「このままでええんか、福祉とかいいんちゃうか?」と言われて、25歳のときに大阪の専門学校に入ったのが福祉の道に進んだきっかけです。
>専門学校卒業後はどうされていたんですか?
通っていた専門学校で障害福祉論を教えていた恩師の先生が障害者のグループホームの施設長をされていたので、そこでアルバイトをしていました。恩師の先生には「障害福祉分野で働いたらどうか」と言ってもらったのですが、進路担当の先生に「将来の事を考えて、高齢分野に進め」と言われたこともあり、卒業後は大阪の特別養護老人ホームで修行をしようと思って勤めました。でも「なんか違うなあ」と思っていて、そんなジレンマや色々なプレッシャーからか「鬱病、社会不安障害、パニック障害」を発症し、1年半ぐらい引きこもっていました。そんな時に恩師の先生が「リハビリがてら、週一回でもいいから」とご自身の転職先の施設に誘ってくれました。そこは成人の障害者の入所施設で、生活支援員として最初は2~3時間から始めて、だんだん8時間働けるようになり、週1回から2回、3回と増やしていって、半年ぐらいそんな働き方をさせてもらって正規職員になりました。
>滋賀県で働こうと思ったのはなぜですか?
妹が末期がんになり、看取りで滋賀県の病院に入院していたとき、妹が当時働いていた大津のNPO法人の代表に会いたいというので、病室まで来ていただき妹と話してもらうことができました。それがきっかけで、代表から「富田くん、もう滋賀に帰っておいで」「やりたいことがあるなら協力する、独立せえへんか」と熱心に声をかけてもらっていました。その頃、働いていた法人で色々あって退職することになり、次の就職先は運送会社に決まっていたのですが、入職寸前で「やっぱり福祉がしたいな」と思い始め、代表に相談の電話をしたら「来月からでもいいから、こっちに帰っておいで」と言ってもらいました。その時に「もう帰ろう、大阪にいる意味はない」と思い、自分の生まれた場所ではないですが「自分が育った大津で何かできたら」と滋賀県に帰ってきて、その代表がいるNPO法人に勤めることになりました。
「うちの子、行き場所ないんやわ」
>IL逢坂福祉会を立ち上げるまでについて教えてください。
働くことになったNPO法人は大津の中でも重度の方を受け入れているところでした。保護者の方と話す中で「卒業後が心配やねん」「うちの子、行き場所ないんやわ」という話を聞いて「これは作らなあかん」と思いました。また、当時の大津市長が「生活介護事業所が足りない」というテーマでシンポジウムをされていて、それぐらい足りていないということも知りました。すべてをカバーすることはできないですが、自分の知っている人や、その家族のために生活介護事業所を作ろうと思ったのが立ち上げるきっかけです。そして、法人の名前は専門学校の時にお世話になった恩師の先生が、アメリカで起きたIL運動について「当事者が発信したことで世界が動き出した。そこに福祉の根源が詰まっている」という話をしていて、その考え方にすごく感銘を受けて「IL」という名前は絶対に使おうと思っていました。法人を立ち上げた当初は逢坂福祉会という名前にしていたんですが、やっぱり「IL」を入れたいなと思ってIL逢坂福祉会という名前になりました。
>建物がログハウスで雰囲気がとても素敵ですが、ここを選んだ理由はありますか?
いっぱい物件を見ていたのですが、どれもなんか違うと思っていたんです。「うちの子、行き場所ないんやわ」と話していた保護者の方とも一緒に物件を探したりしていました。そんな中、この物件が売りに出された瞬間に保護者の方から連絡を頂き、「ここだ!」と感じてすぐに電話をしました。そして、内見に行き「もう買います」と言って決まりました。そこからは「この子が利用できるように」と1人の子を思い浮かべながら1年かけて、車椅子が使えるようにスロープを付けたり、トイレも手狭だったので壁を抜いて新しく身体障害者対応のトイレを増設しました。開所する時は利用者が集まらなくても、それこそ思い浮かべていた1人の子だけでも別にいいやと思っていたぐらいなのですが、いざ蓋を開けてみたら5人の方が来てくださったんです。それからは近くの養護学校に通っている重度の知的障害のある人はここを進路先に選んでくださっています。重度の知的障害のある人の行き場所の1つとして、ここは存在意義があるのかなと思っています。
不自然でも良いから「仕事をしている」という形を大事にしたい
>IL Gardenの活動内容を教えてください。
開所当初から給与をお支払いしています。午前中は作業をしてもらっていて、作業内容としては重度の方なので空き缶つぶしやシュレッダーをかけるといったものです。空き缶は保護者の方が持ってきてくれたり、シュレッダー作業は付き合いのある会社さんから仕事をいただいていますが、ご厚意で他に紙折りのような作業をいただくこともあります。前は清掃業もやっていましたが、なかなか難しいので今はストップしています。
>利用者の方が過ごされている中で、こだわっていることや大切にされていることはありますか?
生活介護事業は利用者に給料を渡さなくても良いのですが、僕としては「お世話をしてもらうだけ」のような場所はちょっと違うかなと思っています。不自然でも良いので「仕事をしに行っている」ということにしたくて、1日30円ですが給料をお支払いしています。ここを利用している人の大半は、お給料が入った封筒をもらうときに「給料」という感覚を理解することが難しい方が多いですが、「給料日」というものは嬉しいと感じてくれているのではと思っています。中には軽度の人もいて、その人は月500円ぐらいの給料になるのですが、その給料を貯めて1年に1本ゲームソフトを買っています。家に帰ったら「仕事、頑張ってきたか?」と声をかけられ、「頑張ってきたよ」と言っているそうで、モチベーションを持ってくれている方もいます。ご本人だけでなく家族の方に向けても「お世話をしてもらうためだけに来ているんじゃないんですよ。お金を稼ぐために来ているんですよ」という意味も込めてやっています。ちなみに今年度から施設の裏で畑をしていますが、その水やりしているところを写真で撮って保護者の方にお見せしています。採れた野菜は保護者の方にお渡していて、結構喜んでもらっています。
普通に生きる、あたり前に居られる場所
>IL逢坂福祉会のホームページには「普通に生きる」「あたり前に居られる場所」と書かれていますが、そこにはどんな思いが込められていますか?
僕は施設や施設従業者はエンターテイナーじゃなくてもいい、特別を提供しなくてもいいと思っています。テーマパークに行ったら、スタッフが非日常を演出していますよね。病院も非日常だと思うのですが、そういうところとは対照のところにしたいと思っています。特別なことをするわけでもなく、「普通に来て、普通に帰る」といったような何気ない毎日をちゃんと作っていくこと、それは意識しないと難しいことだと思います。「今日はいいことがあった」「悲しいことがなかった」「嫌な気がしなかった」とか何気ない普通を良しとする。そんな「普通」が100点なんだという感覚が大事だと思っています。「普通」は真ん中ぐらいに思われていると思いますが、僕の中では結構上なんです。何もない日が本当にすごく大事かなと思います。
>その人が望む「普通の暮らし」「何でもない日」が難しい場面もありますよね。
ここを利用していた方が入所施設に行くことになり、相談員さんと行き先を探し回ったことがありました。県内の受け入れ先を見つけるのがなかなか難しく、遠い県外の施設に行くことになりました。私は保護者の方と一緒に施設まで送りに行きましたが、「こんな悲しい現実があって良いのだろうか、こんな現実をなんとかしたい」という思いになったのを覚えています。このことがきっかけになって施設のすぐ近くにグループホーム用の土地を買いました。施設を利用されている方が県外に出なくていいように、また、滋賀県から県外に行くしかなかった人たちを少しずつでも滋賀県に戻って来られるようにしたいと考えています。
>今後の展望を教えてください。
僕の役割としては、近くで保護者の方が会いたいと思ったらすぐに会える環境を作ること、みんなが普通に生きられるような環境を作ることだと思っています。それは自分のやりたいことでもあり、使命かなと思っています。そして大津市民として小さい頃から育ったこともあって、やっぱり大津に貢献したいなと思っています。今、このIL逢坂福祉会を利用している人たちがこの地域に住んでこの地域で一生を終えるために「普通」をずっと続ける。僕はそのための歯車の1つであり、それで十分だと思っています。
富田 賢二(とみた・けんじ)
NPO法人IL逢坂福祉会 理事長
特別養護老人ホーム、障害者入所施設、障害児支援などの経験を経て、利用者も職員も「あたりまえに居られる場所」という理念のもと、大津市でNPO法人IL逢坂福祉会を立ち上げる。現在は「その人らしい普通の生活」を大切に、生活介護事業所「IL Garden」を運営している。
編集後記
インタビュー後、施設内を見学させていただきました。そこには思い思いに過ごす利用者さんの姿が。「このソファーはこの人」「この椅子にはこの人」と皆さん定位置が決まっているそう。そんな利用者の皆さんを見つめる富田さんの眼差しはとても優しく、穏やかで、ログハウスの雰囲気も合わさってとても温かい空間が広がっていました。インタビューを通して富田さんの眼差しの奥には「悲しい思いをする人を減らしたい」という熱い思いがあることを知り、「ただお世話してもらう場所ではない」「その人の当たり前を実現する」という言葉に糸賀一雄思想に通ずるものを感じました。
(聞き手:石田・山邊)