様々な事情によって家庭で暮らすことが難しい、0歳から概ね就学前の乳幼児が生活している小鳩乳児院で心理職として働く林真帆さん。心理職を目指すきっかけや、乳児院で働く心理職としての思いをお聞きしました。
(2023年9月12日 小鳩乳児院にて)
振り返ってみてもやっぱり子どもが好き
>心理職を目指そうと思ったきっかけを教えてください。
もともと母親が心理の分野で働いていたので、小さい頃から身近だったというのは大きいです。大学への進路選択のときに私も心理の分野を考えているという話を母親にしたら「他にも色々と見てみたら。」と言われたので、私なりに母の話を聞いたり、児童養護施設の見学に参加したりしていました。そうやって色々見た中でやっぱり心理の分野に関心があったので、心理の学部がある大学を選んだという感じです。母も決める時には応援してくれました。
>大学生活はどんな風に過ごしていたんですか。
大学生活では「色々と見てみなさい」と母に言われたのが私の中ですごく残っていたので、興味・関心のあること、やりたいことをやろうと思い、児童相談所でお姉さんのような関わりをするメンタルフレンドや、東日本大震災で親を亡くした子どもたちと関わるボランティアをしていました。兄弟が下に2人いたのでお世話をしていたことや、小学校の卒業論文や卒業アルバムの将来の夢を書くところに保育士と書いていたこともあって、もともと子どもが好きだったんです。今こうやって学生生活を振り返ってみると子どもに関することを多くしているので、やっぱり心理の分野もですが、児童の分野にも関心があったんだなと思います。
自分の好きな場所に住みたい、そこで働きたい
>林さんは東京のご出身ですが、滋賀県に住もうと思った理由を教えてください。
私は、小学校1年生から小学校3年生まで滋賀に住んでいたことがありました。両親が忙しいときは、地域のおじちゃんおばちゃんの家にお菓子をもらいに行ったり、親の知り合いの大人にどこかへ遊びに連れていってもらったりしていました。親だけじゃなく周りの人や地域の人たちに育ててもらったという感覚があって、周りの人たちとのつながりがすごく心地よかったんです。だからそういう意味で私にとって思い入れがある場所でした。あと、東北の被災地へボランティアで行ったときにそこで出会う人たちがすごく温かくて、人とのつながりを大事にしている人や、その場所が好きで、その場所のため、その場所にいる人たちのために働いている人が多くて、すごく魅力的だなと思っていました。だから私も自分が好きだと思う場所に住みたい、そこで働きたいと思ったので、思い入れのある滋賀県での就職を考えるようになりました。
>子どものときに見ていた滋賀と大人になってから見ている滋賀、違いはありましたか。
全然違いはないです。滋賀にいる方が落ち着きます。実際に滋賀県に住んで2年半経ちますが、家で過ごしているときや、琵琶湖を見ているときに何かホッとできるというか、落ち着ける場所だなと感じています。やっぱり自分が好きな場所だからそう感じるんだと思います。
イメージできなかった乳児院での仕事
>最初から乳児院の心理職として働くことを希望していたんですか。
乳児院の心理職として働こうと思っていたというよりは、就職活動をするときに滋賀県の児童福祉施設で働きたいと思っていたので、県内の児童福祉関係の職場を見学させてもらっていました。その中の1つとして小鳩会を見学させてもらったのがきっかけです。他のところも見学しましたが、お話を聞くと心理職は施設に配置が1人というのが多く、就職する枠が無いということが多かったんです。そんな中でたまたま小鳩会の方に「今なら枠が空いてるよ」と言ってもらえたので小鳩会に就職することになりました。
>乳児院に配属が決まったときはどうでしたか。
小鳩会は乳児院、児童養護施設、里親支援や地域の子育て支援など幅広く児童福祉に関する事業をしているので、配属を決めるときに「乳児の方をどう?」と言われました。それと同時に「今後、児童福祉分野や児童養護施設で心理職として働くことがあるかもしれない、その時のために子どもたちが乳児院でどういう生活しているかを見ておくのは大事だよ。」と言われて「確かにその通りだなあ」と思い、乳児院で働くことになりました。ただ、私自身は年長ぐらいの子にプレイセラピーをした経験はあったんですが、就職する前は学童期の子どもたちと関わる仕事をすると思っていたので乳児院での仕事と言われたときに、心理職がどんな風に関わるのか、あまりイメージができないまま働くことになったという感じです。
溶け込むこと、自然に馴染むこと
>実際に乳児院の心理職として働いてみてどうでしたか。
心理職というと一対一でカウンセリングをしているイメージが強いと思うのですが、実際はそれぞれの立ち位置や、やり方があって、施設によってもどういうふうに働いているかというのは全然違います。もちろんそれでいいのだと思いますが、私が実際に乳児院で働くことになったときに、どんな子どもたちがいて、どういう風に生活しているかを知ること、職員さんがどんな思いで子どもたちと関わっているか、話をしながら知っていくことを意識していました。子どもたちに対しても、積極的にホームに入って一緒にお散歩に行ったりとか、ご飯を食べさせたりして関わるようにしていたので、子どもや職員さんがどういう思いを持っているのかを知ることができたんじゃないかなと思っています。その一方で、私がどういう人なのかも知ってくれたんじゃないかなとも思っています。だから職員さんから「最近この子がこんな様子なんです。」というのをポロッと雑談の中で話してくれたり、休憩スペースで話をしたり、そういうことが増えてきたので嬉しいです。それと同時に普段の生活を邪魔しないようにしようとも思っています。
>普段の生活を邪魔しないというのはなぜですか。
例えば、ホームの子どもたちが生活している場所にいつもと違う人が入ると子どもたちは敏感に察知するし、いつもと違う様子になってしまうので、そこに溶け込むこと、自然に馴染むことを意識しています。あとは、普段関わってくれている職員さんそれぞれがいろんな思いを持って支援をされているので、例えば子どもに注意をする必要がある場面や出来事があったときに、心理職の自分が言ったほうが良いか、それとも担当の職員さんに言ってもらう方が良いのかをいろんな角度から考えて、自分がやりすぎないように立ち位置を意識することも気を付けるようにしています。悩みながらではありますが、どこまで心理職が介入していくか、どのタイミングで伝えるか、というのは意識して働いています。立ち位置としては心理職がメインに立つというよりも、職員さんたちが子どもたちと生き生きと関わっていけるように、そして、悩んだときや、どうしたらいいのだろうかと疑問に思ったときに、一緒に考えられる存在でいたいなと思っています。
「生きてていいんだ、自分は大事にしてもらえているんだ。」と思えるように
>今、子どもたちをどんな視点で見ていますか。
子どもは生まれてから親など、周囲の大人との関わりの中で基本的な信頼感を育んでいきます。もしそこで信頼感が育まれないと人に対して不信感を持って成長してしまうことがあります。そういったことを学校の授業や教科書の中で見聞きして知識としては理解していましたが、乳児院の現場に入って子どもたちと関わっていく中で、実際に周りの大人への信頼感を持たずにいたり、自己肯定感が低い子がいて、教科書に書いてあったことという認識から、現実の課題なんだと改めて感じるようになりました。その子たちに対して私や他の職員さんがどんな関わりをしたら「生きてていいんだ、自分は大事にしてもらえているんだ。」と感じることができるか、というのが私の最近のテーマになっています。やはり大事にしてもらった経験がないと、自分を大事にすることができないので。自分を大事にするというのはすごく難しいですが、周りの大人がその子の好きなものを大事にしたり、子どもが発信してくれたことを大事にするような関わりが必要だと思っています。そして、その関わりの中で子どもたちが「どんな自分でも誰かが守ってくれて、誰かが助けてくれる。」「どんな自分でもいいんだ。」という感覚を持てるようになることも大事だと思っています。
>どんな時にこの仕事をやってて良かったと思いますか。
やっぱり子どもが好きですし、子どもたちがそれぞれホームで大変な時期があったり、日々の生活で大変なこともありますが、子どもたちと一対一で関わったり、人として関わっている中で楽しいなと純粋に思っています。何より、子どもたちの笑顔が見られるとき、関わりの中で子どもたちが楽しんでくれているときが嬉しいですし、心理職として、そして一人の人間としてこの仕事をやっていて良かったなと思います。
林 真帆(はやし・まほ)
社会福祉法人小鳩会 小鳩乳児院
臨床心理士、公認心理師。
学生時代から子どもたちとの関わりを通して児童分野の心理職として働くことを目指す。
小学生の時に滋賀県で暮らした経験から人とのつながりに魅力を感じ、滋賀県の小鳩乳児院に入職。現在、滋賀県ライフを楽しんでいる。
編集後記
優しい、柔らかい雰囲気がとても素敵な林さん。お話を伺っている時も「やっぱり子どもが好き」「滋賀県が好き」と笑顔で話されていましたが、お仕事について聞くと「子どもたちのために一体自分には何が出来るのだろう」と自分自身に問いかけている姿、「自分を大事に思えるようになってほしい」と子どもたちへの思いを熱く語る姿が印象的でした。
心理職という役割を意識しながら、児童養護施設や乳児院で暮らす子どもたちと向き合う中で自分自身は子どもたちにとってどのような存在なのか、どうあるべきなのかを問い続けるその姿勢は、障害のある子どもたち、そしてその子どもたちが輝くために社会と向き合い続けた、糸賀一雄氏の思想に通じているのではないでしょうか。
(聞き手:山邊・白井)