中田美穂さん 陶中田美穂

 

陶芸家として活動しながら、福祉施設や養護学校で陶芸を中心とした芸術活動をされている中田美穂さん。福祉施設で活動するようになったきっかけや、活動の中で大切にしていること、福祉施設以外での活動についてもお聞きしました。

(2022年12月15日 陶中田美穂アトリエにて)

「初めから陶芸家になろうと決めていたわけではありませんでした」

>陶芸を始められたきっかけは?

美術大学では版画科に通っていました。絵を描く中で流行の変化を読み取って考えることも多くて、それより純粋にものづくりをする方が向いているなと思っていた時、友人に誘われて行った沖縄旅行で陶芸に出会いました。「旅の記念に」と誘われてやってみたら上手にできたんです。すごく集中してできるし、難しいことを考えずにものづくりができる、その楽しさを知ってこれはいいなと思ったことが始まりです。

旅行から帰ってきて、版画科の先生に陶芸科の先生を紹介してもらってからは版画科に在籍しながら、陶芸科の教室にも行って授業に参加させてもらったりしていました。

就職活動の際に信楽で就職先を探して、信楽の窯業試験場に通いながら、製陶所でのアルバイトを始めて、社員になって3年ぐらい勤めたのかな。その後は自分の窯を持って活動してきました。そんな流れで何となく今までやってきていますね。別に初めから陶芸家になろうとか、特別陶芸が好きという訳ではありませんでした。

>どのような経緯で福祉施設での陶芸活動を始められたんですか?

陶芸の講師として活動するようになったのは10年ぐらい前からです。知人から滋賀県立陶芸の森が県内の小中学校で行っている出前授業の講師が足りないからと声をかけられて、講師登録をしたことが始まりです。また、最初に障害のある方と関わる機会をいただいたのはNPO法人子育て研究会です。そこで障害のある方の陶芸教室を行い、慣れ親しみました。その後、救護施設ひのたに園の職員さんに声をかけてもらいました。声をかけられたときは「なぜ私が」と思いましたが、せっかくお声がけいただいたので一度やってみるかと思い、ひのたに園での陶芸活動アトリエ・セラミカの講師を引き受けました。

何年か前に同じ町内にある障害者施設で月に1回のアート活動のお手伝いをしていましたが、当時はお手伝いという感じで、本格的に施設で芸術活動に関わったのは、ひのたに園が初めてです。その後、社会福祉法人虹の会や八日市養護学校から声をかけていただいて、そちらでも陶芸活動をしています。

中田さんのアトリエと作品

「私の役割は安心して来られる場所づくり」

>福祉施設等で陶芸活動をするにあたって、大切にされていることはありますか。

みなさん一人ひとり、自分の思いを持っていると思っています。私が口を出して作らせるのではなく、「ちょっとこうしてみたい」と希望があれば準備やお手伝いするくらいです。

芸術は強制されてするものではないから。基本は楽しい、学びたいという気持ちですしね。自分は好きで選んで芸術家をやっているのに、人に何か強制するのはおかしいなと思うんです。だから、「陶芸をやりたかったらやってください。やりたくなかったら自由に過ごしてください」ぐらいの感じで活動しています。

活動の中で「こうせなあかん」と言ってしまったら、もう来てくれないかなと、その恐怖感もありますね。「もう嫌や」と言われたら敵わないというか、楽しく来てもらえる場所づくりは意識していますね。

特にひのたに園での活動は、「もっと仕事になった方がいいのかな」「活動に参加する人が自立できる手伝いもした方がいいのかな」と、いろいろ考えましたが、活動を通して交流を重ねていくにつれてそれは私の考えることではないなと思うようになりました。私のここでの役割は安心して来られる場所づくりで、何か作ろうかなと思える雰囲気づくり。やりたいと思うことや好きという気持ちが原動力になると思うので、そこを邪魔しないということをやはり1番に思っておかないといけないなと思っています。

まったくわからない状況から始まった施設での陶芸活動

>ひのたに園で活動を始めた当初は思い悩むこともあったそうですね。

どうしていいか、まったくわからないという感じでした。私は何もせず、道具を用意して、場所を提供したら、みなさん作りあげてくれるんじゃないかと。手探り状態で普段開催している陶芸教室の要領で手びねりやたたら作りの説明をしました。活動初期は参加者が形を作って乾燥させた作品に私が釉薬などを掛けて、焼いていたんですよ。すると制作中はとても素敵な造形だったのに、焼きあがった作品は魅力が減ってしまうように感じました。何が問題だろうと考えたんです。私が本人さんの考えや持っているものを潰している感じがしました。私の考えた釉薬だから、私の造形に合う釉薬で、利用者さんたちの造形に合う釉薬や焼き、仕上がりになっていないなと。たまたま相談した材料屋で筆で塗れる釉薬を教えていただいて、釉薬付けまで本人さんにしてもらう今の活動の形になりました。

本来、釉薬を付けるとなるとバケツを用意して、作品を浸けてと作業的には難しいものなのですが、筆で塗れる釉薬なら、椅子に座って、好きな色を選んで、絵の具みたいな感じで塗れるからできるのではないかと思って。それを試してみたら雰囲気がガラッと変わって「これや」という感じでした。

 

「折れてもいい、痛そうでもいい、そこがこの作品の肝になる」

>活動をするにあたって気を付けていることはありますか?

活動をしていると、誘導になりがちなところもあるので、どうしようと思うときはありますね。救護施設や障害者施設、養護学校での活動では障害等の事情があって自分で情報を取ってくるということが難しい方が多い。私がコーディネーター的な役割で、持っている情報を提供して、本人さんに選択してもらえたらなと思っています。でも、それが誘導になるのか、アドバイスになるのかという、微妙なところではありますね。情報をどこまで何を提供するか、どうしたら誘導ではなくアドバイスになるかということは常々考えています。

 

どうしても陶芸だと「ここが折れそうだから、直そう」「ここ痛そうだから、ちょっと押さえて直そう」と、手直しをしがちですが、それでは自由な作品作りでなくなってしまう気がしました。どう助言していいものか悩んでいた時に、視覚障害のある方の芸術活動を支援されている方から「芸術と工芸は違いますよ」と助言をいただきました。そのときに、折れてもいい、痛そうでもいいんだと、そこがきっとこの作品の肝になる、と。そこからは折れそうだから、痛そうだからといった理由で直すことはやめておこうと思うようになりました。

そんな中でもまた変化があって、去年の2月にアトリエ・セラミカの活動の一環でギャラリーを借りて作品の販売会も兼ねた展覧会を開催したのです。展覧会を開催するにあたってお客さんが手に取った時に痛そうな部分がある作品や、壊れやすく売りづらい作品には、売れるように調整する意味も込めて少し助言しました。以降は売る場合や使う時を想定して「ここが欠けそう、痛そうやから、ちょっと押さえときませんか」と活動の中でお伝えするようになりました。そこで本人さんが納得して直されることもありますし、「いや、ここはこのままで」と言われたらそのままにしています。

 

 

ひのたに園 動-Dou-展(2022.2月)看板

>今興味のあることや気になっていることはありますか?

福祉施設で芸術活動をするにあたって、疑問というか、いろいろ考えることが出てきて。盲学校で図工教師の経験のある西村陽平さんの『手で見るかたち』という本を読んだときに考え方が衝撃的で、感銘を受けました。この話を知人に話したら「東京でワークショップしているから、行ってみたら?」と背中を押してくれました。コロナが流行している時期でしたが、せっかくだからこれは行くべきと思い、思い切って行ったんです。そこで私は2人の目の見えない方と一緒に粘土で制作しました。1人の方は以前飼っていた犬を制作されました。その方は見えていないはずなのに作品はしっかり犬の形をしていて思わず「どうやって作ってるんですか」と聞きました。「いつも自分の胸元に寝に来たから、撫でていた犬の感触で覚えている」とおっしゃるんです。衝撃を受けました。

唯一私が見ていた中で違和感があったのは犬の前足が薄く、平たかったことです。でも、よく考えると、私が感じた違和感は毛の厚みなんだと気付きました。実際に触るとそれだけ薄いということですよね。私は見えているようで見えていないんだと気付かされた経験でした。

そういった交流もあってやっぱり美術館の作品、陶芸や彫刻を触れたらいいのにと思っています。でもそのことを美術館の館長さんに言っても取り合ってもらえない。とにかく「壊してはいけない」となってしまいがちです。しかし、最近では少しずつレプリカで触れるものが用意されていたりして時代が来たなと感じています。

教育と福祉と芸術を繋いでいきたい

>今後の展望について教えてください

私はいったいどこに向かっているのだろうという感じですよね(笑)。

美術や芸術の敷居を下げたいという意識はずっとあります。右肩上がりの経済成長をしてきた日本の中で芸術はすごく崇高なものになってしまったので、もう少し敷居を下げていきたいです。

ひのたに園の活動でも、これからはご近所とか一般の方の陶芸教室と一緒にできたら面白いですよね。もっと社会との関わりを増やしていくきっかけを作っていきたいです。

他にも竜王町にあるひだまり学舎というところで、月に1回「つちっこ」という子どもたちの居場所づくりの活動をしています。県内で出前授業をしていた中で、教室に入れない子や、不登校の子がいる現状を目の当たりにして、この状況に疑問を感じていたんです。そんな時に竜王町教育委員会のスクールソーシャルワーカーの方と出会って、「自分たちでやってみるか」と去年から始めました。そこでの陶芸活動では、ひだまり学舎の庭に穴を掘って粘土を取って、作って、2~3か月後にそれを野焼きで焼くという方法を取りました。それが結構楽しいです。「みんな土を掘っているから、土を掘らなあかん」というわけではなく、「帰りたい、帰ろう」となってもいいんですよ。遊びの中で何か学びがあったらいいかなと思っています。

ただ、学校に行きにくい子は集団が苦手なこともあるので、たくさん人を集められない。ここが矛盾するところで、いっぱい人を集めて、参加費で運営するというのは難しい。

いろいろ問題が山積みですけど、それを続けていくことで教育と福祉と芸術を上手に繋いでいけたらと思っています。繋げて社会に還元し、応援してもらえるようにこのまま続けていけたら、ありがたいですね。

それとは別に、自分の作家活動もやはりきちんとしていかないとね。「あの人、誰?何?」と言われたら元も子もないので、やはりアーティストとしてもちゃんとしていかないと。だから、体が幾つあっても足りないです(笑)。

つちっこでの野焼きの様子
プロフィール

中田 美穂(なかた・みほ)

 

陶芸家。美術短大の版画科修了後、滋賀県窯業技術試験場デザイン科、小物ろくろ科修了。信楽の製陶所に勤務した後、27歳で独立、窯を持つ。1998年から韓国へ陶芸の旅に行き、そこで出会った仲間と今も交流を持ち続ける。年間2〜3回の展覧会や、受注製作をしながら、あちこちで講師業をする日々。

 

編集後記

自身が陶芸家として活動されているだけでなく、福祉施設や学校で陶芸活動の講師をされている中田さん。中田さんは芸術と教育と福祉が繋がり、応援してもらえるような関係性を目指したいと様々な活動を実践されています。インタビューの中でもお話されていた、安心して来られる場所、何か作りたいなと思える雰囲気が、より一層活動に参加されている方にとって陶芸を楽しむきっかけになっているのだと思います。また、作品づくりのなかで、自由な作品づくりを大切にされており、ありのままの作品を受け入れるという姿勢は、糸賀一雄の思想にも通ずるものがあると感じました。

(聞き手:藤田・石田)