山本良子さんはNPO法人リバティー・ウィメンズハウス・おりーぶの理事長を務め、様々な生きづらさを抱えた女性を対象にグループホームや自立訓練施設を運営されています。
おりーぶ立ち上げのきっかけや、大切にしていること、活動を通して考える女性の支援の必要性についてお聞きしました。
(2022年8月3日 リバティー・ウィメンズハウス・おりーぶにて)
>おりーぶではどのような方が生活されているのでしょうか?
各種依存症の方、DVの被害に遭われた方や摂食障害の方など、精神面のサポートを必要としている方への支援や、回復の場としてのグループホームです。
支援に最も配慮が必要な方は地域生活定着支援センターを通して本人や家族からの相談から入所に至るケース。その他、医師や病院、法律家や行政など各種機関からの必要性が求められ、おりーぶのメンバーになるケースなど、出会いは様々です。
全国の医療機関で各種依存症に悩む女性が社会復帰する段階となり、当施設をパンフレットやインターネットで知り、入所を希望される方や、その中には住む場所を変えて再出発を望まれるケースなど、事情や背景は本当に様々です。
おりーぶを始めた頃は、お酒を飲んで暴れる娘さんを連れて、親御さんが当施設へ駆け込んで来られるケースもありました。でも本人が納得した上で来ないと長くは続かないんです。
そんな経験もあって、今は入所される前に本人と面会した後、文通やメールなどの交流を持つようにしています。
生まれも学歴も何もかもが違う人とグループホームに集い生活を共にするということは、想像よりも遥かに大変です。
女性ばかりですし、嫌いな人もいて当然です。全員を好きになるということは、ありえないことなので、適切な距離を取りながら仲間意識を持って生活してほしいと思っています。
>おりーぶではどのような活動をされているのですか?
デイセンターで月曜日から土曜日の朝10時から15時ぐらいまで、スマープ24(※1)や依存物質からの解放プログラムなど毎週決められたプログラムを行い、16時以降は自由時間になります。
最近のプログラムではスキーマ療法(※2)を取り入れ、今まで受け身で物事に取り組んでしまっていた人達にも「自分の意見を考える」機会を作ってもらう取り組みをしています。
プログラムを受けながら、心身の療養に努める人もいれば、積極的に社会と関わりながら一般企業で正社員やアルバイトで仕事をする人もあり、社会復帰に向け着実な歩みを続けています。
他にも課外活動やレクリエーションも行なっており、たまに外食や、ピザパーティーをする企画もありました。 教育プログラムで座ってばかりでは息が詰まってしまいので、みんなでワイワイと楽しめる企画も間にいれながら、普段は見えない仲間の顔が見えて仲が深まったりすることも。
周りの人の全部を好きにならなくてもいいし、上手に仲間と生きる事も覚えていってもらえるといいなと思っています。
※1 スマープ24 せりがや病院にて開発された認知行動療法型の薬物再使用防止プログラム。薬物およびアルコール依存症に効果のある治療プログラムとして推奨されている。
(正光会今治病院HPより)
※2 スキーマ療法 心理療法のひとつ。スキーマとは思考の根底にある心の部分を指す。
始まりは気になる3人と一緒に暮らしたことから
>おりーぶを立ち上げたきっかけを教えてください。
過去に病院の地域連携室に勤務しており、カウンセリングが必要な依存症の女性と過ごす機会が多くありました。その中で依存症に悩む彼女達に女性のための自助グループの必要性を強く感じ、近江大橋のたもとにある大津バブテスト教会の裏の会館をご厚意で使わせていただいて活動をはじめたのがきっかけです。
活動内容は、カウンセリングをしたり、キャンプやお泊まり会をしていました。
その日の活動を終えて帰る時は希望を持って帰るのですが、次に会う時は、「あかんかった」「またこんな嫌なことがあってね」という感じでした。
現実の暮らしが安心できるものではない彼女達の姿をみているうちに、「一緒に暮らす」という考えが浮かんできて、ちょうど私が60歳の時、高島市のマキノ町海津で、安定した居場所のない3人の女性の日常生活を立て直すために、おりーぶを始めました。
施設名である「おりーぶ」の名前の由来は、最初にご縁のあった教会裏の建物の名称が「オリーブ館」であったことに由来します。
友人の助言を受けてNPO法人へ
>元々は一緒に住んでいたというだけですか?
そうです。一緒に住んで、こんなところへ行こうとか、この本をみんなで読んでみようとか、それとカウンセリングをしていました。半年程経ったときに「法人格を持ったらどう?」と友人に言ってもらって。自分でも気が付かなかったことですが「今のままでは私が亡くなったら終わりだし、今いる子たちが育ったら終わりじゃないか」と。
最初は、病院で働いていた時代の知り合いに「こんなんやってます」と知ってもらうことから始まりました。そこから知人の精神科の先生が関わってくださることになったり、立ち上げの時に関わってくれた友人が理事になってくれました。
本当にぼちぼちやってきたなという感じです。3年目にはグループホームだけではだめだと思い、自立訓練の事業のために専門職を雇うことができるようになりました。そこでやっと法人になってきたなという実感が持てました。
>女性の暮らしの場をつくろうという思いは前々からお持ちだったんですか?
いえ、これは思い付きに近いです。ただ、帰る場所がなかったり、不適切な扱いを受けている女性の行き場がないなとは長い間思っていました。相談を受けていて「そんな危ない人とは離れなさい、物理的に距離を置きなさい」と言ってもどこに行くんですかって。お金がなかったら、精神を病んでしまっていたら、実家に帰れない人だったら、子どもがいなかったら母子寮にも入れない。
母子寮よりもう少しソフトな場所があるといいなと。公共のシェルターもあるけど、2週間で出ていかないといけないし。そういった行き場のない人を受け入れる場所が必要だなと思っていましたが、本当に具現化する予定はなかったです。
でも、おりーぶを立ち上げる前の仕事をしているときに、1週間に1度の楽しみや相談では物事が解決しないんだと痛感しました。「ここに来るのが生きがいだ」と言っていても、帰ったら現実ですしね。少しの間帰らなくていいところが必要だなと思いました。
生きることは全部楽なことじゃない
>活動のなかで大切にされていることはありますか?
おりーぶの人たちは、自分のしてきたことを、最初は苦し紛れに人のせいにしたりします。でも生きていると自分のせいでもない、人のせいでもないということもあるでしょう。私の役目は「あなたが選んだ選択肢が的外れだったんだよ。」と、修正するように導く事だと思っています。
例えば、ストレスとよく言うでしょう?ストレスを乗り越えられない壁だと思うから悪いことという風になると思うんです。ストレスを感じる度合いは人それぞれで、感じない人もいます。私にストレスを与えるな、私を不安にさせるなというのは的外れですよね。
生きることは全部、楽ではないということを知っておかないと。自分が楽ではないことは悪いことだと思ってしまうと、解決できることも解決しないで同じことを繰り返してしまうと思います。その繰り返しが自分を生きづらくさせていませんか、と。プログラムのなかで自作のプリントを使用しながら自分のことについて振り返り、考えてもらう機会になればと思っています。
>おりーぶで暮らしながらアルバイトに行っておられる方もいると伺いました。
おりーぶに来て「すぐに働きたい」と言われる方は多いです。でもおりーぶに来ている人って、少しの間はなんとか頑張ることができるという方が多いなと思うんです。だから、プログラムを受けて、OKをもらってからアルバイトに出るようにしてねと言っています。
最初は週2回から始めるということも決めているのでみんなのローテーションで管理して、慣れてきたら週3回、4回と増やしていったり時間を延ばしています。あとは、おりーぶが運営している株式会社ねこのてに単発で仕事に出ることもあります。
就職=ゴールではない
>おりーぶではどのくらいの期間、過ごされるんですか?
おりーぶで過ごされるのはだいたい3年程度。短くても2年くらいはおられる方が多いです。大抵の福祉施設って就労=成功、ゴールと捉えがちだと思います。その考え方でいうと、どこか働き口を探して働き始めるということができるおりーぶの人たちは、もうゴールしているということになってしまいます。でも社会は「初めてアルバイトするんです」という30歳には厳しいですよね。働きに出て「あかん、私もう行かへん」と言って2回ほどで辞めた利用者が、何気ない私の「(アルバイト)募集してるわ」の一言でたまたま行ったアルバイト先がぴったり合って「正社員にならないか」と声をかけてもらえて、今は正社員として働いています。結局ゴールがいつなのかって人によってわからないです。
おりーぶで生活しながら、自分のやりがいや、永続性のある仕事を見つける、自分が持つ能力を開発してもらう。少し知的に障害がある方や、おりーぶに来て発達障害があることがわかった方はオープンにして就労する支援をしています。出会いがあれば自分の能力がこんなところにあるのだと思えるのかもしれない。だから今は就労がゴールではないなと思っています。自分を本当に必要とされて、正当な評価を受けたときに人は変わるかもしれないですね。
やっていてよかったと思うのは、彼女らを送り出すとき
>おりーぶを立ち上げて10年、いろいろあっても、ここまで続けてこられた理由はありますか。
諦めずにやろうと思うのは小さい芽が育つことや、励ましてくれる人の存在。そして「私はここに来るのを楽しみにしている」「おりーぶが支えです」という利用者や家族の存在。いろいろやんちゃなことをしてここまできた人に、生きる道がまた見つかったと送り出すとき、おりーぶの活動をやっていてよかったと思います。「結果が悪かったら、帰っておいで」といつも送り出しますが、帰ってきたらここが疑似家族だったという証だと思って受け止めています。
社会貢献、そんなに大層なことは考えていないです。私は人間が好きだから。おりーぶを立ち上げたときは支援してあげると思っていました。ただ、夢は粉々に。なんとかしてやるということはできない。自分で変わるしかないんです。というのも立ち上げた当初、回復に向けたプログラムをするなかで「わかりました」、「こうですよね」と上手くいっているなと思っていたら、隠れて悪いことばっかりしていたんです。そのときに私が教えてあげようとしているからこの子たちもいい格好しようとしているんだなって気付きました。それからは何かあっても教えるとか支援してあげるというところから離れていきました。提案するとか、考えようと促す感じに。本当の福祉とはどういうものなのか、寄り添うことも難しいですよね。
山本良子(やまもとりょうこ)
特定非営利活動法人リバティー・ウィメンズハウス・おりーぶ 理事長
20代前半に結婚、子育ての後、30歳半ばで福祉の道を目指して、大学に再入学。精神保健福祉士等の資格取得後、精神病院の地域連携室に勤務。
そこで出会った依存症女性のための、居場所づくりの必要を感じ、60歳でリバティー・ウィメンズハウス・おりーぶを起業。現在に至る。
編集後記
山本さんのお話を伺う中で、おりーぶは当時関わりのあった3人の女性たちの日常生活を立ち直すために一緒に暮らしたことから始まったということにとても衝撃を受けました。今では滋賀県内だけでなく日本各地から入所の依頼があり、女性の生活の立て直しのための場となっています。行き場のない女性を受け入れる場所が必要だと感じ、おりーぶを立ち上げられた経緯はまさに糸賀先生が遺した「自覚者が責任者」という言葉を体現しているのではないかと感じました。
山本さんはもし退所した人が戻ってきてもそれはおりーぶがその人にとっての家族であった証だと話されていました。そのような山本さんの考え方がおりーぶで暮らす人にとって安心して生活できる理由の一つではないかと思いました。
(聞き手:御代田・藤田)