佐藤有美(さとう・ゆみ)さん
おさだファミリークリニック

佐藤有美(さとう・ゆみ)さんは、近江八幡市にある「おさだファミリークリニック」の神経内科の医師です。京都の病院で勤務され、その後、神崎中央病院で回復期リハビリテーション病棟の専門医をされていました。現在は、診療所の医師として認知症や高齢の方の外来を中心とした診療やリハビリテーションを行うと同時に、高次脳機能障害の対応に取り組んでおられます。高次脳機能障害に興味をもたれた背景や先生が考える地域の診療所の役割について、お話を伺いました。
(令和元年7月6日 おさだファミリークリニックにて)

総合病院から地域の診療所へ

今年の4月に近江八幡市のおさだファミリークリニックに来ました。ここのクリニックには、去年1年間、月2回のアルバイトで来ていたんです。
もともと、東近江市の神崎中央病院の回復期リハビリテーション病棟にいました。自分なりのモチベーションがだんだん持ちにくくなってきたというのと、ずっと研修医の時代から病院勤めをしてきて、疑問に思うことがありました。診ていた患者さんが退院して、また通院で診ていた人はリハビリテーションをして、地域に、家に帰った後、ちゃんと元気にやっているのかと。以前京都にいたときは、退院後の患者さんを何人か訪問したりしましたけど、全員できるわけでもないので。
逆に、もっとやりようがあったらこの人は入院しなくてよかったよねといったことも気になるようになっていました。いつかは地域の中で仕事がしてみたいとずっと思っていて、今回たまたま、縁があって誘っていただけたので、「やらせてほしい」ということで任せていただいた状況です。
病院にいるときから外に出るのが好きだったので、患者さんが退院して施設に行くなら、時間さえあれば、「ちょっと一緒に見学に行こうよ」と言って出掛けていました。もちろん自分の息抜きも兼ねていましたけれども(笑)。こういうところで生活するんだなとか、これぐらいのスタッフの人がいるんだなとか。とにかく出掛けて、現場を見たいというのは好奇心だったと思います。でも、勤務中は外に出づらいところもあるし、ここでも自由に動けるかといえばそうではないですけれども、入ってくる情報も違うし、面白いかなと思っています。

おさだファミリークリニック(外観)

はじめにお祭り?

前任の先生が辞められて私が来るまでの間、医者が入れ替わり立ち替わりという状況がここのクリニックでは続いていました。なので、近隣の方にこんな医者が来ました、ということと、以前はクリニック自体が医者不足で平日毎日開いていなかったので、ちゃんと開いています、というご挨拶代わりに「おさだのおまつり」をさせてもらいました。思った以上に地域の方々がたくさん来てくださったので、できれば毎年の恒例行事にしていきたいと思っています。すぐ近くに保育園もあるので、そこの園児たちがちょっと歌える場を作ったり、地域の人と一緒にお祭りができたらなと思って。それであそこにクリニックがあるんだなというのを少しでも知ってもらえたらうれしいです。

「おさだのおまつり」の様子

高次脳機能障害に興味を持ったきっかけは?

気が付いたら好きだったというのは確かにあるんですけれども、研修の頃から脳に興味がありました。神経内科で、私がものすごく尊敬していて、ずっと教えを乞うていた京都にいたときの病院の先生が高次脳機能障害に詳しくて。そこの病院の回復期を手伝わせてもらっていたんですけれども、リハビリテーションに力を入れていて、高次脳機能障害の対応を頑張っている病院でした。それで刺激を受けたというのもあります。
病気をしてわがままになったとか言われるけど、実はそうではないというのを実際現場にいる自分たちがいち早く感じ取れる。本人が社会に戻り自宅に帰るまでの間にどこまで評価をして訓練をするか。これはできるけどこれはちょっと難しいからこういうふうに手助けしたらできるというようなことをいっぱい学ばせてもらい、たくさんの症例を経験させてもらいました。「高次脳を診よう」と強く思ったきっかけは、その中で診ていた1人の若い患者さんです。低酸素脳症になって回復をして、今は一人暮らしができるようになって、広告を見てこの曜日はこのスーパーが安いからといって買いに行って、自分で料理も作れるというところまできている人です。初めて会ったときは「ワーッ」と叫んでいるような人でした。でもこうやっていろんな人の力と知恵と根気が加われば、時間はかかっても、その人なりの生活ができていくんだな、というのをすごく身近で感じさせてもらえました。時間がかかるということは長くその人に関わるということでもあるし、自分の忍耐力を鍛えなければいけないですけど、やりがいはあります。そのために制度の勉強もいっぱいしました。こういう人にはこういう制度を利用して、そのためにはこういう書類が必要だとか。そこから自分自身の知識に繋がったので、良かったなと思います。
周りに高次脳機能障害に関わっている病院のスタッフが多くいて、出会った患者さんも充実した生活を送れるようになった方がすごく多かったので、本当に恵まれていたと思います。難しい症例ばかりで教えてくれる人もいなかったら、言葉は悪いですけれども、すごく根気がいるし、結果が見えにくいものだから、こんな面倒くさいことはないと思うのです。だから、本当に周りに感謝というか。その中で10分の1ぐらい自分も頑張ったなと言ってあげたいです。

リハビリテーション外来を始めた理由とは?

神崎中央病院では、4年半ほど通院のリハビリテーションをやっていたんですけど、その中で回復期リハビリテーションをするのなら高次脳機能障害を診られないといけないでしょうということで、興味を持ってくれたリハビリテーションスタッフや相談員と一緒に勉強しました。よその病院から窓口がないと言われて、じゃあ外来をしようと、リハビリテーション外来を立ち上げて高次脳機能障害の患者さんをたくさん紹介していただきました。病棟の業務もあったので、月2回だけさせてもらっていました。障害者手帳がほしいけど診断書を書いてくれるところがないし、大きな病院には頼めないという人を受けさせてもらって、リハビリテーションスタッフと一緒に2、3か月かけて、本当に高次脳機能障害の症状なのかじっくり評価をしていました。そして、障害者手帳取得に向けて書類を書くという形です。

待合室に掲示している「おさだ通信」

大切なのは医療と支援、制度と受け皿のバランス

医療は医療としての役割もあるから、病気をちゃんと診ていくというところで、「ここからここは自分がやります。でも、ここからここはあなたたちの仕事だよね」と割り切らないとできないこともあると思うし、それで良かった分野もたくさんあったと思います。一概にそれが悪いかと言われると、そうではないけれども、それではうまくいかない分野もあるということにみんながもっと気づいてくれると、書面での情報提供だけでも違うと思うんですよ。この人はこういう経過で、こういう病気で身体機能はこうで、という情報を次のところへきちんとつなげる。
高次脳機能障害をよく分からない、という人が多いのも確かな現実だと思います。だいぶ病院の中では広がってきたと思いますけれども、でも高次脳機能障害は何ですかと言われて答えられる人は医療従事者でもそんなには多くないのではないかなと思います。
やはり一番感じるのは、地域によって違うのかもしれないですけど、医療面で高次脳機能障害に関われる人や機関が増えてきたとしても、その人は一生医療の世界の中で生きていくわけではないから、その後の生活の中でどういう支援ができるのかということです。制度があっても受け皿がないというところがすごく多いし、逆に受け皿があっても医療の方で診断がつけられないこともある。よく分からないから認知症と診断されたり、デイサービスに行ったりと、バランスが取れていないのかなと思っています。高次脳機能障害の人で、例えば身体も悪い方だったらいろんな行き先があるけど、体力は落ちているけれども体は比較的動きます。麻痺も重くないし、身の回りのことも全部自分でできます。だけど、家庭に戻るのはちょっと難しいという人の受け皿が今、滋賀県ではむれやま荘しかない。そうなってくると、そこの負担がどんどん増えていく。比較的若い方が使える施設というのが全然ない。もちろん、高次脳機能障害ではない方も支援を必要としているわけだし、全ての施設が高次脳機能障害の人を受ければいいということではないですが、理想を言えば、滋賀県の各圏域に1ヶ所ぐらいはあってほしいと思います。

「患者さんが無事家にカエルように」という意味が込められたクリニックのカエルたち

高次脳機能障害におけるクリニックの役割とは?

高次脳機能障害の診断はついていないけど生活に違和感やしづらさを感じている本人や家族はおそらくもっといて、病院で検査をするのはハードルが高いのであれば、地域のクリニックで話を聞いてくれる場所があってもいいのかなと思って。「面白いかも」と気軽に来られる入り口としての役割ができたらいいなと思っています。
今はスタートしたばかりで、もともと個別のリハビリテーションに力を入れていたクリニックではないのでスタッフもまだ数が足りませんが、これから少しずつ患者さんが増えていく中で、評価バッテリー(※)も揃えていきたいと考えています。スタッフ同士、みんな資格は一緒ですけれども、経験がなかったら評価バッテリーを使えないので。そういう練習もやっていきながら、1年、2年かける中で、評価も訓練もできるようにしていきたいです。
今は、神崎中央病院のときから診ていた患者さんで一緒についてきてくれた方2人の就労支援をしています。診ている患者さんは5人くらいですが、まずは、なんとか次に繋げていきたいと思っています。高次脳機能障害の人は、周りを気にせずに没頭できる能力を持っていたりして、生活には支障は出てきているかもしれないけれども、ものづくりなどそこに何か興味があるものが加わったらまた新しいことに繋がっていける。ただ、それができたとしても披露する場がない。仕事、就労、収入に繋げるのはすごく難しくて。特に仕事盛りで病気になった人、子育て中に病気になった人は難しいんだなっていうのを感じています。
(※)複数の検査を組み合わせること、および組み合わされた検査全体のこと。

先生が目指す「地域のクリニック」

長く診られる環境はすごく必要だと思います。病院では、回復期にリハビリテーションを毎日行えるので、しっかりとした評価もできるし、ぐっと調子を上げていけるということと、回復期を過ぎると、次の段階をコーディネートさせてもらえることもあって、それはすごくやりがいがありました。でも、その後も良くなるし、その後にもその人には人生があるから、やるからには長く関わりたい。
あとは、もっと一緒にしていく仲間がほしい。まずはクリニックの中で、理学療法士さんだって高次脳機能障害の方を診られていいと思うんですよ。別に評価をしてくれということではなくて、この人は高次脳機能障害の人だから、例えば歩行のときにこういうことに気を付けてあげたらいいとか。そこに思いが行くのと行かないのとで雲泥の差がある。高次脳機能障害だけじゃなくて認知症もそうだし、高齢の方も一緒だと思うんです。みんな人なので。
多くの方が人生の先輩なので、そこは敬意を持って、否定はしたくないと思っています。自分がおばあちゃんになったときに自分より若い医者から「おばあちゃん」とか言われたら、「あんた、私の孫ちゃう」みたいに感じるところがあるじゃないですか。患者さんだからということではなくて、やはり人と人との付き合いなので。親しき仲にも礼儀ありと、そこは気をつけているつもりです。
私がおさだファミリークリニックに来てから、クリニックの外の看板に「高次脳機能障害外来」と入れてもらいました。1人でも多くの方に、別に重度でなくても書類を書いてほしいというだけでもいいので、何かのときに思い出してもらえたらそれでいいかなと思っています。とはいえ、普通の住宅地の中のクリニックなので、血圧や糖尿の患者さんの方が多いですし、そういう人たちもやはり同じくらい大事にしたい。専門クリニックではないので、どこまでできるかわからないですけど、紹介や情報をもらったら何かしたくなるじゃないですか。そういう中で、またあれこれ首をつっこみつつ、診療していこうと思います。

「高次脳機能障害外来」を付け加えたクリニックの看板

最終目標は患者会?

まだ、何の目途も立っていないんですけれども、患者さんが増えてきたら、同じように抱えている悩みや、逆に、「こんな楽しいことがあるよ」というのを共有できるような患者会ができたらいいなと思っています。
というのも、京都にいたときに失語症の患者の会があって、その人たちに助けてもらったことがあります。当時、若い30代の失語の患者さんを診ていたのですが、麻痺もあって、患者さん自身がすごく落ち込んでいました。どんなに親身になって私が対応したとしても、同じ経験をした人からの対応があるのとは違います。回復期を経過して生活をしていた失語症の人が通院に来ていたので、「ちょっと会ってくれへん」と頼んで、そこからまた話が盛り上がってきたのを見て、支え合えるというのはすごく大事なことなんだなと思いました。悩みを打ち明けるだけではなくて、その悩みが人を助けることもある。家族だけで頑張らなくていいので、患者会をニコニコしながら見ていたいというのが最終目標です。

プロフィール

佐藤 有美(さとう・ゆみ)

おさだファミリークリニック 医師

京都の病院でずっと教えを乞うていた神経内科の医師より高次脳機能障害の方の支援について刺激を受ける。その後、滋賀県東近江市の神埼中央病院で回復期リハビリテーション病棟の専門医をし、現在は近江八幡市にあるおさだファミリークリニックで活躍中。

 

 

 

編集後記

患者さんを診るときに、まずは人と人の関わりとして接する。そのとき、病気、症状、障害は関係なく敬意を忘れないという佐藤先生の姿勢に心打たれました。
高次脳機能障害については、特に医療と福祉の連携が必要とされる中で、先生が考える地域のクリニックは制度と支援をつなぐ重要な存在であると感じました。医療や評価の充実だけではなく、その後の生活をより充実したものにできる仕組みの必要性にいち早く対応して、地域で、生活の中で、患者さんと長く関わっていくということをされています。
気になることに直面したら、とことん調べて勉強して、行動を起こす。まさに「自覚者は責任者」という糸賀思想を実践されているのだと思います。責任を押し付けあうのではなく、それぞれの分野が持つ機能を「次へつなげていく」という意識を持って発揮することができれば、共生社会の実現に一歩近づけるのだと改めて思わせていただきました。

(聞き手 佐倉・石田)