増野隼人(ますの・はやと)さんは社会福祉法人びわこ学園でヘルパー、通所施設、入所施設、グループホームといった数々の部署で経験され、現在は重症児者相談支援センターびわりんの相談支援専門員としてご活躍されています。青年時代は脚本家になりたかったという増野さん。「社会福祉の父」とも呼ばれる糸賀一雄さんを主役にした朝ドラが実現したら、その時は「通行人A 」の役でもいいから出演したいという、夢も交えながら、相談支援の本質について深く語っていただきました。
(令和元年5月23日 重症児者相談支援センターびわりんにて)
些細なきっかけから障害福祉へ
大学生の頃、ある音大主催の知的障害や自閉症の子供達と一緒のキャンプに行きました。『音大』という響きに胸がときめいて、何か出会いがあるのではと、初めは女の子目当てで参加しました(笑)。僕は龍谷大学の社会学部社会福祉学科だったので、障害福祉の理解があると思われちゃったみたいで、障害の重い多動で発語のない自閉症の男の子の担当になったんです。1泊2日のキャンプで、その日はロッジに泊まることになっていましたが、とにかく大変で、夢に描いていた音大の女の子との交流もなくて、内心もう帰りたいなと思っていて、その子の手を握りながらロッジに入ったんです。そのときに来たんですよ、きっかけが。
その子が、ロッジに入った瞬間ぐらいに僕のつないでいた手をいきなりぎゅっと握りしめたんです。たぶん、一瞬で5秒か3秒ぐらい。「あれ?」と思って。で、握りしめて一緒に入ったら、また、バーッと走り出しちゃって。それだけなんです。今から思うと、彼は自閉症だったから、恐らく不安だったというか、見通しが持てないとか、たぶん彼は彼なりに自分の用いる最大限の方法で僕を頼って、精一杯伝えてくれていたんだと思います。僕のことなんかそんなに認識はしていないと思っていたから、何か全然応えてあげることができなかったんですが、そのことがずっと自分の中に残っていて、それから、知的障害とか自閉症など障害福祉分野に興味を持ちました。
それ以降、就職するなら障害福祉関係の職場で働きたいと思っていて、社会福祉法人びわこ学園が、ちょうどやまびこ総合支援センターを立ち上げるときで、職員募集をしていたんです。最初は論文試験でその後に面接試験があったんですけど、みんな優秀だったので、落ちたなと思っていたら受かっていたんです。それで、友だちにどうするか迷っているという話をしていたら、「びわこ学園はやめた方がいいんじゃない? そんなでっかい古い施設。だって、おまえみたいなタイプの人間には合わないんじゃない」みたいなことを言われて。実習先の職員にも「びわこ学園は大変ですよ、やめておいた方がいいんじゃない」と。そう言われると逆に行きたくなるんですよ。結局、何も知らないけど、びわこ学園に入職することに決めて最初の配属先がやまびこ総合支援センターだったんです。
ヘルパー、通所施設を経験して、それから30歳ぐらいのときに1年間入所施設へ異動になって、その後3~4年間はグループホームの部署へ配属となりました。しばらくして、グループホームの新規立ち上げなどしていたら、当時の上司から「増野君、相談に行ってくれ」と言われたんですよ。でも僕は基本的に、人の話を聞かない人間なので「嫌です。僕は相談には向いていない。なんでですか?」って聞いたら、僕の前の人が急におめでたになっちゃったからって。でも、「新しいホームはできたばかりだし、もう少ししたい」と言ったんだけど、「いや、もう、それはいい。行ってください」と言われて、それで相談支援の部署に異動になりました。だから、自分でやりたいというわけじゃなくて、たんなる成り行きです。
そのときは、まだびわりんはなくて滋賀県のケアマネジメント事業をやっていました。そのあと、平成24年から計画相談事業が始まり、びわりんができました。「びわりん」という名前はびわこ学園の「びわ」と昔の黒電話が「リンリン」と鳴る音を合わせて、僕がつけたんですよ。「相談」って電話がかかってくるイメージかな~となんとなく思って。もう黒電話なんか知らない人も多いけど……だから、あんまり、深い意味はないんです。
びわりんの事務所があるびわこ学園医療福祉センター野洲(外観)
相談支援の秘訣は非効率?!
びわりんの相談員は最初、僕1人でしたが、翌年からもう1人増えました。普段の活動は、各家庭に訪問へ行ったり、サービス利用状況についてモニタリングをしています。年間、400件ぐらい、1日に2件か3件くらい訪問へ行っています。長いときで1件あたり2時間お話します。利用計画の話は15分ぐらいしかしなかったりするんですよね。まわりの相談員からも、「非効率的だ」って言われているんですが、でも必要やと思ってやっているんです。やっぱり、相談支援って関係がすごく大事なので、利用者と相談員と、もしくは、家族との関係が全てだから、しっかりした関係をつくらないといけないので、いろんな話をして、相手にも僕のことは知ってもらうし、僕も相手のことを知りながらやらないと相談支援ってなかなかできないですよね。甘噛みができないんです。
相談支援の中で一番意識しているのは、利用者は重症心身障害の方や医療的ケアを必要とする方が多いので、その方たちの利用計画をつくるときに、まずは、本人の思いや、その思いが何なのか、そこを中心につくるということをいつも意識しています。
びわこ学園初代園長の岡崎英彦先生が、いつも「本人さんはどう思ってはるやろ」と口癖のように何かあるたびにおっしゃっていました。僕は当然、直接会って聞いたこともないですが、それが、びわこ学園では伝承のように残っていて。やっぱり、そこが支援の第一歩であり原点です。そこがずれた利用計画は、意味がないと思っています。まずは、それを大事にしています。お母さんと話していると、お母さんの思いは分かるんだけど、家族の思いと本人の思いはずれたりすることもあるので。
僕は、インテーク(最初の面接・相談)で必ずお母さんの思いも聞くんです。重症心身障害児者の場合、多くの担い手であるお母さんがいないと本人の生活が成り立たない現状があります。一緒に生活をしたいとか、こういうところを助けてほしいとか、お母さんたちはいろいろしゃべってくれるんですが、その時に、「お母さんの思いはよく分かったんだけど、本人さんはどう思ってはるんかな」ということを必ず聞き返すようにしています。そうするとお母さんたちも、「あ、そうだね」みたいなことで、ちょっと子どもを客観的に考えてくれる。本人の発信が少ないので、どうしても介護のことなどほかの要素に引っ張られるんですよね。本人の思いがないがしろにされてしまうことがあるので、必ずそこをみんなで意識していこうということは、大切にしています。
糸賀一雄氏、岡崎英彦氏の著書を含む、増野さんの愛読書
増野さんが考える「本人の思い」とは?
傍から見たら、本人の思いってはっきりしていないじゃないですか。考えるんだけど、突き詰めると自分自身の気持ちさえ分からない。時折、僕も、そういうところがあって。人間の気持ちとか思いって曖昧で変わりやすい。人間自体が曖昧で、非常にふわふわしているもので、環境にも影響されやすい。まさに意思は石のように転がるというか。関係の中で、変わってきたり。そういうことって、意識しておくことが大事で。なぜかというと、支援者が意思というのは曖昧だって思っていないと、専門的になればなるほど決めつけちゃったりするんですよ。その危険性が常にあるから、思いを考える時にそこはすごく大事にしています。それから、その分からない思いを何とか分かろうとすること。それは、相談員だけじゃなくて、お母さんやお父さん、支援者たち周りの関わりの中で、みんなが、ああでもないこうでもないと考えながら、要は、意思をある程度膨らませていく。それでも、変わりやすいものですけど。
その意思は何なのかということは確かに答えとして持つことも大事なんだけど、そこまでの過程だとか、やりとりのほうが、この福祉の世界は、豊かなんじゃないかというふうに僕は考えています。
意思をみんなで考えていくこと、なんか、そのこと自体がもう人間同士の豊かさじゃないかって。
訪問時の様子
相談支援の「距離感」について
基本的に、僕は本人さんの課題があった時に、支援を受けながら自分自身の力でいろんなことを解決していくということが大事だと思っているんです。僕は、アドバイスをするし、いくらでも支えたい、一緒に横にはいるんです。でも、「自分でなるべく解決しよう」というスタイルをとっています。利用者も家族も自身の手で乗り越えていくこと、そこにはやっぱり時間もかかるし、やりとりも必要です。相談支援は解決策をポンってだしたり、先回りして、なんかやるんじゃなくて、利用者や家族が、乗り越えたり、受け入れたりするための時間を共有するだけなんだと思っています。もし課題がきれいに解決しなくても、その状況があんまり変わらなくても、「それでも、まあいいか」みたいな捉え方の変化が、利用者や家族に生まれてくることも含めて。
それから、相談支援はよく抱え込み過ぎたり、巻き込まれたりすることがあるんですよ。信頼関係はすごく大事なんですが、その距離感がすごく難しい仕事でもあるので、そこはかなり意識しています。野球のキャッチボールに例えると、今の福祉の人たちを見ていると、ちょっと遠投気味なんですよ。利用者や家族との距離が遠すぎるんです。当然、キャッチボールって近すぎてもうまくはいかない。キャッチボールをやる時は、ある程度、程よい距離でやる。そのほうが、みんながボールを投げやすくてスムーズに動きやすい。その距離は、人それぞれで違っていて、それを探っていくということがすごく大事で、みんなちょっと遠すぎるんですよね。なんかよそよそしかったり、個人情報のこともあるけど、自分のことをあんまり言わなかったり。だから、一定のいい距離感をいつも考えながら投げているというのがあります。
あんまり自分のことをしゃべりすぎたりとか、距離が近すぎると、今度は、本当に支援がうまくいかなくなるので。そこの距離感はテクニックがいります。
自分の思いに気づくこと
あるお母さんとしゃべっているときに気づいたのが、そのお母さん、在宅でみるのがすごく大変で、恐らくもう施設入所させたいっていうふうに思っていたんですよね。それまでずっと僕も支援をしてきていたので、僕はお母さんの気持ちをちゃんと聞こうと思っていたんです。でもお母さん、僕の前では絶対、入所させるって言わなかったんですよ。でも、周りの人には言っていたんです、「もう入所させたいんや」って本音を。
僕は何時間もお母さんとしゃべっていたけど、お母さん、その話を僕にはしなかった。なんでもちゃんと聞こうと思っていたし、信頼もあると思ってたから。でも、後から考えるとそれは、僕がこの子を在宅で生活させたいっていうふうに強く心の底で思っていたから、それがお母さんには伝わっていたんだと。それは相談員として本当は駄目ですよね。だって何でも本当のことをしゃべってほしいから。でも僕は初めからこの子は在宅で、「もっと頑張れお母さん」みたいなことを、たぶん気持ちの奥では思っていたんだろうと。相談の場合、自己覚知とよく言うけど、自分が今、ほんまに何を考えているのかってことをしっかり認識していないと、それが口にださなくても、相手に伝わってしまう。
自分の思いに素直に気づいて、ちゃんと自分が認識しているときは、相手がもうちょっとしゃべってくれるような気がするんですよね。例えば、僕が不快だなと思ったとき。やっぱり、人間だから、合わない人もいますし、なんか嫌な話もある。その時の自分の気持ちに蓋をして、見ないようにするか、それをしっかり認識しているかしてないかで、全然違うんです。その気持を認識した段階で、じゃあ、それを自分がどうするかっていう話だから。相談員って、人を見ているような感じがしながらも、実は自分の内面もしっかり見ていたりするんですよ。まず意識するということが大事で、それを認めてあげながら、嫌な思いも、一緒に生きていくというような感じですね。自分のことを知るって、結構大事。それは、性格も、考え方の癖も、自分が気持ちの揺れやすい場面も……子供のころから、今に至るまでの成育歴なんかも含めて、それって、忘れたいことも思い出したりするんで、しんどいんだけど、そのことも今の自分を作ってきた大事なことだから、ちゃんと受け入れて。相談支援をやる人間には、「自分を知りつくす」って必要な工程かなと。
研修会「びわべん」主催の思いについて
「びわべん」はびわりんで勉強会という意味で、びわりん企画、主催の研修会です。
1回目のびわべんは、「母親たちの話」というタイトルで利用者のお母さんたちのお話をお聞きしました。訪問時にいい話をしてくださるので、それを他の現場の職員さんとかに伝えられないかと思って。堅くやるとみんな来ないから、サイコロトークみたいになるべく柔らかく、少し仕掛けして。2回目からは、長年、障害福祉の仕事に携わってきた諸先輩方をお呼びし、その話を伺いながら、そこから学べることはないか考えることを目的に、「遺言」というのをやりました。「本人さんは、どう思ってはるんやろう」という題で、岡崎英彦さんの言葉をずっと追い続けてきた方々に集まっていただくというものです。この企画の初回では、石井裕紀子先生に来ていただきました。石井さんは、岡崎英彦さんの娘さんなんですけど、実際に近江学園で生活されていました。3回目は社会福祉法人しが夢翔会の統括施設長をされている藤木充さんをお呼びして、過去の先人たちが今まで長くやってきて、考えてきたことを若い方にしゃべっていただきたいと思っていて。それを、ちょっと遺言って言葉が悪いけど、遺す言葉ぐらいの勢いで語っていただきました。
技術とか、知識とか、そういう研修も確かに大事だと思うんですけど、そういうことって、やりたければ自分でやりません?やるなって言ったて、やりたい人は勝手に学ぶでしょう。だから、それが生み出せるような、そのためのスイッチを押すような、そういう研修をしたいと僕は思っているんですよ。それと、そういう内面に訴えられたことが、もしちょっとでも支援者の心に響くと、明日から、自分がやっている支援の一つ一つがちょっと変わっていくんじゃないかとも思っています。心が手に変わっていくみたいな感じで。
研修会「びわべん」3回目の様子
次の世代に伝えたいこと
僕はあんまり偉そうなことは言えないけど、若い子たちを見ていると、もうちょっと面白がって仕事をしてほしいなと思っています。今、目の前の仕事、自分が配置された仕事。配置されたわけだから、それは、何らかの縁がやっぱりあるし。僕もそうだけど、自分で選んで来たわけじゃないし。でも来たからには、面白がって何でも仕事をやるっていうスタイルが僕は大事かなと思っています。福祉って、真面目な仕事だし、シビアな相談も多いけど。もしかしたら組織的に理不尽なこともあるかもしれないけど。それでも、そんなつらいことなんかも含めて面白がるというか。面白がるってことは、そのために自分で学ばないといけないし、工夫しないといけないし、考えないといけない。その姿勢が意外と次にまたつながるのかな、なんて思っているんですよ。僕も最初は相談って自分に合わないって思ってた。でも、それなり面白がってやってたら、いつのまにか、ここの部署が一番長くなってた。
僕らの仕事って、僕らでは完結しないんですよ。必ず次の世代にそのボールを渡さないと。仕事って今始まったんじゃなくて、先人達の延長だから。本のページがめくられ続けるというか、ずっと最後の最後まで行かないような気がしていて。僕の持っているものを次にやっぱり渡さないといけない。だから自分たちの思いだとか、僕が考えていることを、このインタビューもそのひとつかもしれないけど、なるべく自分なりの言葉にして、表現して伝えるようにしています。
増野 隼人(ますの・はやと)
社会福祉法人びわこ学園
重症児者相談支援センター びわりん 相談支援専門員
今はなき龍谷大学社会学部社会福祉学科をかろうじて卒業。卒業後、平成12年、社会福祉法人びわこ学園へなんとか入職。入職後、同法人においてヘルパー、通所、入所、グループホームといった数々の職場を経験し、平成24年、同法人の重症児者相談支援センターびわりんの相談支援専門員に流れ着く。現在、年間400件をこえる訪問を行いながら、重症心身障害児者や医療的ケア児者を中心に相談支援を行っている。好きな落語は、立川談志の「鼠穴」。
編集後記
私は以前、増野さんが講師をされていた研修を受講したことがあるのですが、時折、笑いを交えながら受講者を和ませる話術はアドリブだと思っていました。しかし、実は綿密に計算されたボケと台本をご用意されているとのお話を伺って(ネタバレですみません)驚きとともに受講者の緊張をほぐすことまでお考えだということにプロ意識を感じました。
インタビュー当日も、シガフク初仕事である私達が緊張しないようにとても気を遣っていただき、お話いただいた内容からも増野さんの人柄が皆様に伝わると思います。
増野さんは利用者、そのご家族一人ひとりとのコミュニケーションをとても大切にされている。どんなに障害が重くても「その人の思い」は何であるのかを自分に問いながら、じっくりと丁寧に仕事をされている。それは「重い障害があっても一人ひとりがかけがいのない生命を持つ大切な存在であり、その生きる姿への共感や共鳴が社会を変えていく力になる」という糸賀思想に通底しており、増野さんのたくさんの愛読書からも分かるように糸賀一雄氏、岡崎英彦氏など先人の方々の思いを受け継いでいらっしゃると感じました。また研修会「びわべん」についても同僚や後輩に対しても知識、技術の習得だけではなく内面に訴えるような研修を主催され、先人の実践を後世に伝えたいという点はシガフクの思いと共通していると思いました。
(聞き手 佐倉・石田)