町田貴昭(まちだ・たかあき)さん
しあわせ作業所

NPO法人就労ネットワーク滋賀の運営するしあわせ作業所の町田貴昭(まちだ・たかあき)さんには就労支援の支援者として、企業との調整や具体的な支援についてご自身の体験を通して語っていただきました。
(平成30年6月26日 しあわせ作業所にて)

福祉の世界に入ったきっかけや当時の福祉のお仕事についてどのようにお考えだったのかをお聞かせください

私が福祉の世界に入ったのは、10年前です。「ふるさと雇用再生特別推進事業」というのがありまして、前の仕事を辞めた後に、その事業でNPO法人就労ネットワーク滋賀に雇用してもらいました。当時は自立支援法が施行されて間もなくで、国保連への請求業務を担う事務員として雇われました。なので、日中は企業の中に入り除草作業(施設外就労)をするということで、支援者兼事務員のようなかたちで働いていました。全く障害福祉の事も知らなかったですし、支援員としての仕事が何かということも知らない中で働き始めたので、一緒に働く他の事業所の職員さんの動き方や利用者さんへの関わり方が、私の福祉の原点です。

転職して最初の年に全く福祉の知識や地域性もわからない中で、当時の上司に連れられてバンバンがむしゃらで開かれた決起集会のようなものに行ったのが福祉職の始まりだったのかなと思います。当時、湖南市にある多くの障害福祉事業所(以下、事業所)が、就労移行支援事業を開始したものの、就労を支援するということが具体的にどういったことなのか、皆が手探りな状態でした。そこで、まずは企業の中に入って仕事をしようという取り組みを湖南市と協力して進めるということになり、湖南市にある就労支援の事業所(現:湖南市作業所部会)が最初に集まったのが、その決起集会でした。「みんなで頑張ろう!」みたいなことで、そこから色々と交流も始まりましたね。

いきなり企業の中で就労支援をする支援者としてデビューされて、これまでの価値観とのギャップや考え方の変化などはありましたか?

安全管理の徹底(施設外作業中)

当時は、支援員として彼らと一緒に企業に入って働くんですが、除草作業をする格好は、安全ベストこそつけていましたが、ジーパンであったり、軍手をしなかったり、安全配慮のコーンなんかも使用しなかったり……かなり無茶苦茶でしたね。

そんな中で、3つ大きく成長させてもらえる出来事があったと思います。

1つ目はケガです。

企業の中で、働き始めてすぐにケガをすることがありました。それも職員の私が……。

現在から考えると、完全に安全配慮が足りずに起こるべくして起こったのだろうと思います。

帽子をかぶらずに階段の下で作業をしていて、声をかけられて立ったら頭をケガしたということだったんです。企業の中での事故ですから、労働災害ですよね。

かなり大きな事だということは後になればなるほど実感していきました。

企業の担当者の方には何度も指摘をいただきましたし、指摘されることは鋭かったですね。大きな企業ということもあってか、社員の安全対策についても徹底されていましたし、社内のルールや事故予防等の対策についても本当に勉強になることばかりでした。

「働く」ということに対して、企業側が求めるものと労働側が求めるものの緊張感のようなものを感じていた気がします。そういった経験から、自分たちの働き方を見つめ直すようになったと思います。

2つ目は相場を知ったということだと思います。

除草作業の発注を受けて施設外就労として企業の中に入っていったんですが、その時の作業工賃は時給にしたら100円ちょっとぐらいだったと思います。今では、考えられないですが……。

当時は仕事がもらえるだけでありがたいという感覚でしたね。そこから、1年を通して、自分たちの作業量や完成度等を知っていくこと、一般的な相場を知ることができました。そうすると作業見積もりの際に、これぐらいは最低ラインだという芯のようなものが出来上がっていきます。この値段では自分も含めてみんなに働いてもらうことは納得がいかないみたいな感じですかね。そこには、この値段で受注するんだったらこれだけの質で仕上げるぞ!みたいなプライドがみんなの中でできていったような気がします。

3つ目は繋がりですね。これは、企業担当者の方と地域の事業所の方と行政の方との繋がりが大きいと思います。

企業担当者の方には本当にお世話になりっぱなしで、安全対策から作業交渉の仕方、進捗管理の仕方、報告の仕方などお互いの会社同士がWin-Winの関係で働くためのいろはを学ばせていただきました。現在進行形ですけど。

高齢者施設の清掃作業

地域の事業所の方は、就労支援の視点はもちろんですが企業との関係をつくることができるようになったのも、1つの事業所ではできなかったところを協力してお互いの持ち味を発揮して進められたからじゃないかと思います。月に1回集まって作業や支援について議論することを定期的にしていて、当時、そこで話される視点は本当に刺激的なものでしたし、勉強になりました。

行政の方についても、当初この集まりの事務局的な機能をどこが担うかという話の際に、1つの事業所が受け持つことが難しいのではないかということで、湖南市がその機能を受け持ってくれました。月1回の会議等にも定期的に参加してくださって、「こんなことがしたい。あんな指摘があった。」ということも一緒に考えて進めてくれました。さらに契約等の事務処理等をしっかりとサポートしてくださり、そのサポートがなければどこかが悲鳴をあげていたんじゃないかと思っています。

現在も繋がり続けていますが、当時のその繋がりから学ぶことがたくさんあったように思います。

企業の中での就労支援としてどのようなことに取り組まれたのでしょうか?

 当時は、1日に3つの事業所が行くようにシフトを組んでいました。それも、日によって仕切るリーダーとなる担当事業所が変わるようにしていました。例えば、ABCDE5つの事業所があったら、その日はABCと出ていて、Aがリーダーとなります。次の日は、DEAとなってリーダーは違うんですが、前日の作業や注意事項の引き継ぎはAの事業所ができるみたいなことで取り組みをしていました。当初はなかなかスムーズにいかないこともありましたが、それぞれの事業所がリーダーを持ち回ることで作業進捗や安全管理の意識は高まったように思います。他にも、意図的に他の作業所の支援者から指摘や作業指示をしてもらうことであったり、自分の事業所のメンバー以外の人も含めてチームを組んで作業をしてもらうことをしていました。休憩時間も行った事業所みんなでお弁当を囲んで日常の話をしたり、タバコを吸うメンバーなんかは、喫煙室で仲良くタバコを吸っていたりしましたね。

 単一の事業所ではできない大きな体験を職員や利用者関係なく経験する時間だったように思いますし、その当時を経験されている方は、一般就労された方が多いです。失敗も多かったですが、経験することの大切さは実感しました。

しあわせ作業所における就労支援のかたちについて教えてください

やりがいのある仕事づくりというところで、企業出向に特化していった経緯がしあわせ作業所にはあったんかなと思います。ただ、工賃実績を上げたら正しいとも思っていなくて、私達支援者がスキルを上げてより良い就労支援をしていったその経過で工賃が上がっていくのかなと思っているんです。そうしたら、ちゃんとその利用者の方々がしっかりと働けるようになって質も上がる。口コミも良くなって企業さんの評価もよくなりそれが広がっていくのかなと思っています。

手先の細かさが求められる作業(施設内作業)

あとは、我々は内職を多くとっていません。理由としては、納期に追われたくないんです。それよりもきっちりとした支援のステップというか段階を組みたいなと思っています。追われてしまうと、それをこなすだけで終わってしまうと言いますか、あくまでここは自発的に仕事がしたいなと思うようになるまで待てる状況をつくりたいんです。

その成果は少しずつ出てきていて、利用されて1年は全く作業に携われていなかった方がいたんですが、1日1時間だけで取り組めるようになってこられて、現在は施設外就労に週1回リサイクル企業さんに行かれてもいるんです。この方へのアプローチも、短期的な視点で支援してしまうとできなかったと思いますし、納期に追われていなかったことで実現できたのではないかと思っています。

作業の支援はもちろんですが、その背景にある仕事に向き合える部分の生活のリズムとか、健康管理とか、人間関係とかそっちの支援の方が大事だったりすると思っています。

プロフィール

町田貴昭(まちだ・たかあき)

NPO法人就労ネットワーク滋賀 理事
しあわせ作業所 所長

地元企業に就職後、平成21年にNPO法人就労ネットワーク滋賀に転職。平成23年しあわせ作業所の目標工賃達成指導員として配属。平成24年よりしあわせ作業所 所長に就任。施設外作業を積極的に進め、企業で働くことを通した就労支援を実践している。

NPO法人就労ネットワーク滋賀 しあわせ作業所