林ともこ(はやし・ともこ)さん
NPO法人好きと生きる

「NPO法人好きと生きる」の理事である林ともこ(はやし・ともこ)さんは、不登校の子ども達と家族の居場所「にじっこ」を開催しています。また、個人の活動として、少人数の学び場「虹の学び舎」を立ち上げ、命のメッセージを伝える講演活動もされています。子ども達の居場所活動を始められた経緯や、活動で目指していることについてお伺いしました。
(令和3年6月7日 びわ高齢者福祉センターにて)

ある出会いから始まった「にじっこ」

 私は以前、小学校の教員をしていました。娘が生まれたのですが、重度の病気と障害があり退職しました。その娘が6歳で亡くなった後、もう一度、学校で働く機会ができ、今度は、担任ではなくて支援員として3~4年勤めました。担任をしていたときに子ども達の「ちょっと助けて」というSOSが伝わってきたので、しんどいなと感じている子ども達の寄り添いがしたかったのです。支援員をしている中で、いろいろな子に出会い、私はそこでできることをしようと思い、勤めていました。

 そんな中、一人の2年生の男の子に出会い、密に関わるようになりました。彼は学校がすごくしんどくて、家に帰りたいけど学校にいなくてはいけなくて、暴力や暴言も飛び出すことのある子でした。でも、彼とずっと関わっていると、難しい漢字を知っていたり、社会や歴史が好きだったり、将棋が指せたり、彼には好きなことがいっぱいあるということがわかってきました。学校では、各学年で習うことが決まっているので、難しい漢字を書いたら怒られる等、そういう理不尽なことが起きていたのです。

 彼はアートも好きで、「図工の時間がとにかく楽しい」と言いました。「じゃあもし学校が6時間あって、6時間とも図工やったらどう?」と聞いたら、「6時間やったら5時間、図工がいい」と彼は答えました。「え? あと1時間、何するん?」と聞いたら、「国語とか算数する」と答えたのです。彼は、自分の好きなことをとことんしたいけれども、生活の中で必要な国語や算数も勉強したいという思いを持っていて、ただそれが学校の集団でのカリキュラムと合っていませんでした。彼がとことんやりたいことをやり尽くせる場を作りたいとそのときに思ったんです。私はその話を聞いた日に、学校を辞めることを決めて、家に帰りました。

 彼と出会って、私は、子ども達の居場所「にじっこ」を作ると決めたので、彼にすごく感謝しています。誰か一人が望んでいる場というのは、絶対その裏にたくさん、同じように望んでいる人がいるということなので、その一人のために作るということは、たくさんの子ども達につながっていくということでもあります。まずは何を作るにも、何かを変更していくにも、一人の子どもや一人の人の願いから始めるようにしています。

「NPO法人好きと生きる」の事業になるまで

 「にじっこ」はもともと、私が個人で、友達のお子さんを見ようと思って立ち上げた活動です。学校で出会ったその男の子も、私がお母さんと知り合ったことで「にじっこ」に来るようになりました。当時、「なんか子どもが学校に行かへんのやけど」「でも平日に行って過ごすところもないし」とお子さんのことで悩んでいる友達がたくさんいました。「お仕事、行けへんし」と困っていたので、「じゃあ私がとりあえず月1回見るから連れて来て」と言って子ども達を預かるようになり、それを1年半ぐらい続けました。

 また、タイミング良く、長浜市で不登校の親の会『cotton~こっとん~』を始めたばかりの、藤田恵理さんの存在を知って、すぐに会いに行き意気投合して、子ども達の居場所と親の会を同時開催することになったのは、本当に心強かったです。

 最初は長浜市内の小学生限定で3~4組くらいを私が一人で見ていたんですが、人から聞いたりFacebookの告知で知って子どもを連れて行きたいという方がどんどん増えていき、米原や彦根からもお子さんが来るようになりました。見守り側が私一人では回らなくなったのですが、JERRYBEANS(※)ボーカルの山崎史朗さんが手伝いに来てくれるようになり、そこから2人で子ども達を見るようになりました。今は、もう一人、藤原弘基さんという見守り隊の人が増えて、3人で見守りをしています。子どもが多いときは、他にもサポートに何人か入っていただくようにしています。

 2019年の夏頃に、JERRYBEANSのメンバーが「NPO法人好きと生きる」を立ち上げると決めて、「居場所活動もしていくから、その中に『にじっこ』の事業を入れない?」と提案してくれました。ボランティアではなく、継続できる方法で事業として再スタートできることや、想いの根っこが同じだった事もあり、「ぜひやろう」とお返事しました。2019年の秋に「NPO法人好きと生きる」が立ち上がり、生きづらさを抱えている人や子ども達の居場所活動の一環として、「にじっこ」はこの法人の事業になりました。

※JERRYBEANSは、山崎史朗、八田典之、山崎雄介からなるロックバンド。3人ともが、小学校高学年から中学校3年生まで不登校を経験している。滋賀県を拠点に全国の学校や施設で講演ライブを行っている。

「にじっこ」の看板(にじっこに参加する子どもが作ってくれたもの)

対等で横並びの選択肢

 もともと子ども達は無限大の可能性を持っているけど、今の日本の学校は、「同じことをして足並みそろえよう」という風潮がまだ色濃く残っていて、「してもいいよ」とか「やらなくてもいいよ」という選択肢がまだ少ないです。どんどん可能性がつぶされていっているのがもったいないなって思います。でも学校が悪いのではなくて、私も学校に勤めていたのでわかるのですが、先生方もしんどいんです。私が学校の外で活動しようと思ったのは、もちろん子ども達の居場所を作りたいという思いもあったけど、学校の先生がしんどいのも知っている自分だからこそ、外でやりたかったんです。どうしても民間で活動を立ち上げてしまうと、学校や行政と対立してしまいます。私は、学校は学校で先生たちも頑張っていて、私たちは私たちで、親御さんは親御さんで、子ども達は子ども達で、みんな頑張っているので、そこを全部知っている上で、つなぎ目になれたらいいなと思っています。

 対立せずに、対等で横並びの選択肢として学校や居場所やフリースクールが並ぶことが、私の目的です。出席についても、今はそこに到達するために、出席認定を取りにいっていますが、出席をカウントすること自体いずれなくなるのではないかなと思っています。学校に行くことで出席になるのはわかりますが、フリースクールも居場所も出席となってきていて、今なんてコロナで出席停止でも出席扱いになる場合もあります。それだったら家で勉強している子も同じことなので、みんな出席ですよね。私の中では、この世に今、生きていたら出席ということなのです。

 何のために出席日数がいるのかというのがずっと疑問でした。教師をしているときはそれが当たり前だと思っていましたが、先生方もすごい労力を使って出席日数や他のいろいろな事務作業をするので、そこを削れば、その分子どもと関われると思うんですよ。ずっと続いてきているという理由だけで残っているものをどんどん省いていって、大事なところを残したいんです。私の最終目標は、すべてが出席になることを考えたら、出席日数の存在自体がなくなることです。

子どもがありのままの姿を見せてくれること

 「にじっこ」は子ども達の居場所ですが、同じ会場の別室で親の会の活動もしていただいています。今、「にじっこ」は滋賀県内の5つの地域で活動していて、それぞれに親の会があります。3時間、親の会でしゃべって、吐きだして、泣いたり笑ったりしながら、またお子さんを迎えに来て、一緒に帰られます。親の会に参加するかどうかは自由で、出たくない方やもう必要ない方もおられます。その時間お仕事に行かれる方もいます。私がよく言うのは、家に帰って一人時間を過ごしたり、お茶したり、映画を1本見たりと、「リフレッシュに使ってもいいですよ」ということです。

 私は、娘がいるときに、療育教室に通っていました。重度の障害のあるお子さんの親御さんは、特にお母さんが多いのですけど、24時間子どもと一緒なので夜も目が離せないし、全介助なのでどこに行くにも絶対に連れていかなくてはいけません。その療育教室の中で、お母さんだけでコーヒーを飲む時間があったんですけど、唯一、その時間だけが子どもと離れる時間でした。重度のお子さんのお母さんたちは、友達と出かけることもできなくて、一手に全部、背負っておられたので、週に1回のあの時間はすごく大事でした。

 私もその経験をしていたので、不登校の子ども達の居場所を作るときに、親御さんがお子さんと離れる時間は絶対に大事だなと思っていました。最初は、お昼だけでも一緒に食べるようにしていたのですが、やっぱり親子なので、理解はしていても、例えばお茶を一杯こぼしただけで、「何やってんの」みたいにお母さんが叱っちゃいます。そうすると子どもも「また怒られた」ってなるし、お母さんもしんどい。私だったら、ずっと一緒にいるわけではないので、「大丈夫?」と声をかけて怒らず対応できます。お母さんから見えないところだったら、お子さんはやんちゃしていても、何をしていても叱られないなので、今は、せめてその時間だけは離れて過ごしてもらうようにしています。

 とにかく、子どもがありのままの姿を見せてくれることがまずは重要なので、例えば殴る、蹴るといった暴力的な行為に対しても、それを私たちの前で見せてくれていることをまず大事にしています。「そんなんしたらあかんやん」と言うのではなくて、もちろん大けがをする前に止めていますけど、なんでこの子がこの行動をとっているのかということを考えます。そして、子ども達は大人を見ているので、この人は私のことを受け止めてくれるかどうかというのを、最初の段階で試してきます。むちゃくちゃしてくるので、そこを一旦私たちは受け止めて、吸収しています。

「にじっこ」の活動の様子

いつでも戻ってこられる場所

 伴走型支援という言葉がありますが、何か解決するところまではいかなくても、つながっていますよというだけで、やっぱり救われる人やお子さんはおられるので、とにかくつながっておくことが大事だと思います。「にじっこ」にずっと来ていたけど、今は学校に行っている子は、そこでつながりが切れてしまうと、また次、その子がつまずいたときに来られなくなってしまいます。今日、ずっと来ていなかったお子さんのお母さんから、「ちょっと今日どうしても、泣いていて学校に行けへんから、『にじっこ』やっているし行っていい?」と連絡がありました。つながっていたら、いつでも戻ってこられます。

 毎回、スタッフで振り返りをしているのですが、「安心できる楽しい場にしたいのに、しんどい思いをさせて帰しちゃった」というような罪悪感を抱いたりすることもあります。でも、私たちにも限界があるし、人間だし、場を開けているということをまずは大事にしようとしています。スタッフはみんな子どものことを思ってその場にいるわけなので、あんまり思い詰めないようにしています(笑)。

小さな学校「虹の学び舎」

 「にじっこ」は、学校復帰を目指す場ではないので、学校に行く子も、ずっと行かない子もいるし、にじっこの日だけ学校を休む子もいます。「にじっこ」だけではなくて、滋賀県内の居場所やスクールと、なるべく私が関わるようにしています。そうすることで子ども達をいろいろな場所につないであげられます。

 学校で学びたいけど学べないという子の中には、人数がたくさんいるだけで、もうその場にいられない子や、聴覚や視覚が過敏だったり、人の気持ちを考え過ぎちゃったりする子もいます。学校の中では、そこまで先生方が子ども達に寄り添うことは難しいです。少人数での活動や学びを望んでいる子に対して、学校の中の別室ではなく、小さな学校みたいなものを作りたくて、個人の活動として2020年8月に「虹の学び舎」を立ち上げました。

 「虹の学び舎」では、私がカリキュラムを決めるのではなくて、子どもが時間割を決めています。「にじっこ」との大きな違いは、「にじっこ」では来たら自由に遊んで、その場の思いつきで過ごしますが、「虹の学び舎」では、同じ活動をしていても、朝、ミーティングでその日の活動を決めます。子どもとスタッフで円になって、まずはその日の体と心の調子をしゃべっていきます。一日、一緒に過ごすので、この人が今日は元気か、この人は今日何がしんどいのかなどを知ってから活動するためにやっています。その後、みんなそれぞれその日の過ごし方を決めて、一応それに沿って、意識して過ごします。

 法人の名前にもなっている「好きと生きる」ですが、自分の好きなことや好きな人、とにかく自分の「好き」がみんな必ずあると思います。「チョコレートが好き」でもいいです。それと生きるということですが、その「好き」と出会うことがなかったら、「好き」は生まれないので、そこはいつも迷うところです。「虹の学び舎」では、いろいろな経験や人と出会うために部活動をしたり、季節のイベントや講座も開いたりしています。

「虹の学び舎」の活動の様子

居場所活動を続ける理由

 私が子ども達に関わる活動をするということは、娘が亡くなってからの数年間はまず考えられなかったことでした。

 私はもともと子どもが大好きだったので小学校の教師もしていましたが、娘、明音(あかね)と、もう一人その後に授かった子を流産してしまい、二人、亡くしていて、そんな中で子どもたちと一緒に過ごすということは、最初のうちはつらさしかなくて。だけど、娘の記録を残すために書いた本『あ~ちゃんの虹』を刊行した後、講演会の依頼が来るようになり、講演の感想をくれる子ども達から、逆に勇気をもらったりしました。やっと学校に勤めだしたときに、やっぱり私、子どもと過ごすのが好きだなと思ったのです。

 それまでは、服屋さんで働いたり事務をしたり、わざと子どもと関わらないところに身を置いていたのですが、本当の意味では満足できませんでした。でも私の残りの人生をそのまま過ごすのか、こんな過ごし方で明音が喜んでいるかなと思ったときに、やっぱり私が生き生きとやりたいことをやっている人生を過ごして、次に再会した方が喜んでくれるんじゃないかなって。それが一番の活力です。

 今の居場所活動では、一人一人と密に関われます。娘たち二人がもし生きていたら、そこに費やしていただろう膨大にあるその時間を、今、目の前に生きている子ども達に費やせるというのは私の幸せなんですよ。今、この場に生きていてくれるというだけでいいんです。でもさらに、生き生きと、笑顔で、楽しく過ごしてくれたらいいなっていう思いがあって、こういう活動を、今はやりがいを持って続けています。

林さんと「にじっこ」の子ども達

NPO法人好きと生きるHP
NPO法人好きと生きるFacebook
命のメッセージ虹縁(講演)活動Facebook

プロフィール

林 ともこ(はやし・ともこ)

NPO法人好きと生きる 理事
(不登校の子ども達の居場所『にじっこ』代表)
子ども達の想いが中心になる小さな学校『虹の学び舎』代表
子ども食堂『まんま』スタッフ

6年間を命いっぱい生き抜いた娘の命の軌跡を綴った書籍『あ~ちゃんの虹』刊行後、各地で命のメッセージ講演活動として、虹の種をまき続ける。元小学校教員で、現在は地域の子ども達や、主に不登校の子ども達の居場所を開いている。

 

編集後記

一人の子供や一人の人の願いから活動を始めるようにしているという林さん。何を大事にするべきなのか、学校や居場所、子供さんや親御さん、それぞれの立場から考えて居場所活動を実践されています。子供たちが生き生きと過ごせるように、対等な選択肢を社会に増やしていくための理念を持つと同時に、娘さんや、今、生きているすべての子供たちをこの上なく大切にされていることに心動かされました。
糸賀先生は、障害のある子供たちの教育について、ともに生きる者として愛と共感の世界を実践することと説きました。子供たちが「好きと生きる」を実現できるよう、子供たちに寄り添い続ける林さんですが、「にじっこ」の子供たちと接している林さんの姿から、ご自身も「好きと生きる」を体現されているのだと感じました。そこには愛と共感の世界が広がっているように思いました。

(聞き手 石田)