楠田貴之(くすだ・たかゆき)さん
さつき作業所

社会福祉法人さつき会 さつき作業所 副所長 楠田貴之(くすだ・たかゆき)さんはもともと芸術系大学で音楽を学んでおられました。そこから現在のお仕事につながるきっかけや日々の現場支援から考えることを語っていただきました。
(平成30年8月31日 さつき作業所にて)

福祉の仕事に就かれたきっかけを教えてください

もともとは、大阪芸術大学の出身で、いわゆる打ち込み系というコンピューターの音楽をやっていました。うちの母親がピアノの先生で、音楽はずっと小さい頃からやっていたから、それでしか大学に行けへんわって思ってたんです。

卒業後は一回地元の京都に戻って、ちょっと小学校の非常勤講師をしていました。そこで、クラスになじめない子がいたこととか、同じ時期に父親が脳梗塞で倒れたこととかで、一気に福祉の感じが自分に押し寄せてきたっていうか。

非常勤講師だったので、満期があるじゃないですか、3月ぐらいで。そこでちょっと違う世界も見ようかなと思って、父がリハビリしているところに勤め始めたんです。朝に父と一緒に家を出て、リハビリで父や他の利用者さんと接しているうちに、命をあずかっているということは専門の知識が要るなと思って、また大学に入り直したんです。今度は社会福祉学。そこで一番感動したのは、自分が普通の学校に行けるんだということでした(笑)。まずそこが、一番うれしかった。

子どもは好きやし、障害児もちょっと気になるなと思って、養護学校の先生の免許を取ることにしました。教育実習に行ったときに「卒業した後、この子らの将来はどうなるんやろう」と思い始めました。そんなときに、NHKの番組で、なんてん共働サービスの溝口さんの特集がやってたんです。その番組を見て、こんな風に障害者も一緒になって働いて、面白いことをやっているところもあんねやと思って。そこで、近江学園が有名だったり、その近くに行きたいなと思って滋賀に来た……って感じです。でもこれは表向きのいいエピソードで、裏向きは、こっちに彼女がいたということが(笑)。これが今から15年前の話ですね。そして運命的なんですけど、その時にテレビで見た利用者さんが、後々ここの利用者さんとして来はったんです。もう、「ああっ!あの時映ってはった人や!」みたいな感じ(笑)。そして今、溝口さんと一緒にこのおイモさん(イモ発電)の仕事をさせてもらっているし、何か不思議な縁を感じますね。後付けかもしれないですけれど。

中庭で空中栽培中のイモ

外へ出ていく機会を増やしたことでどのように変わりましたか?

外にでることをとおして企業や他の事業所とつながったっていうは、ものすごい大きな経験でした。施設の外に行けば違う刺激があるんやっていうのに、すごく感動したっていうか。福祉の人は、みんな優しいしね(笑)。

イモ発電をやり始めた頃、自分は生活介護事業を担当していました。以前は、障害程度が重たい人、支援がたくさん要る人は、施設内で過ごすのが当たり前みたいな感じがありました。なので、ちょっと外に出たりとか、地域の中になじんでいく、そういう機会ができんかなと思ってました。イモ発電での関わりは、高齢者や子供、障害の有無に関わらず、みんなが一つのことに向かって、同じ目標で作業ができる。エネルギーを生み出して地域の役に立つ、そこに色んな人が絡んでいくみたいな機会があって、自分たちもそこに絡んでいったら、色んな経験ができる機会がたくさん得られるのかなと思って。

正直、外に出たときに、自分らが一般の人たちにどんな目で見られるんだろうって不安もありました。でも、とりあえず施設に来て、何かできることして、ただ帰っていくっていうよりも、いろいろな機会をつくれないかと思ったんです。そこで引っ掛かるか、引っ掛からないかは本人次第やし。意思表示もなかなかままならない、言葉もない人たちも多いんですけれども、何かしたら何か返ってくるかなって。

そういう思いで、もっと外に出ていくことにしたんです。最初はウォーキングから始めました。公園の周りで季節を感じるとか。そうすると、歩くのが楽しみな人は生き生きとしはる。表情も違うし、雨が降って行けなかったりするとすごい残念そうで、「行きたい」という意思表示も増えました。絵を描く活動とかも、好きな人は「あれはないのかな」とか言われるようになりました。「何曜日の何時からは絵を描く活動をしましょう」とお伝えすると、「今日は、やるのか、やらないのか」と気にされたりとか。

あとは、親御さんがすごく喜ばれますね。それまではずっと仕事ばかりで内職とかをやってもらうということのメニューしかなくて、何か合う仕事を持ってこようという感じだったんですけれども、ずっと材料を置いたまま一日過ごすというのも、人としてどうなのかなっていうような思いもあって。それやったら、興味のあることを思いっきりやる方がいいかなと思いました。

また、活動を広げようとボーダレス・アートミュージアムNO-MAも見に行かせてもらったりしました。それも、お出掛けの一環とつなげて、余暇活動として行かさせてもらったり。

そこから、とにかく何かやってみようということで、ing展(※滋賀県施設・学校合同企画展 通称:ing展 滋賀県内の24ヶ所の福祉施設と2ヶ所の特別支援学校の職員、地域の造形教室、ボーダレス・アートミュージアムNO-MAが実行委員会を組織し、企画・展示を行うものです。)にも参加させてもらいました。たぶん、施設に閉じこもっていたら、職員も閉じこもっているので、情報が何もなくて、目の前の日常に追われるばっかりで、それじゃあ、仕事として楽しくないじゃないですか。新しいものをいろいろ見て、職員も刺激を受けて、同じように、それを利用者さんも一緒に感じてもらえたらいいかなと思って、いろいろなところに行きましたね。ひとつの法人でできることなんて本当に限られているけれども、周りのところにちょっと体験させてもらったりすると、いろいろ幅が広がるかなと思って、動かせてもらっています。

作業所に展示されている作品たち(テーマは海)

どんなところに福祉の仕事の魅力を感じますか?

外に出て行くにしても、最初はやはり、新しいところって誰でも不安じゃないですか。それは職員も同じなんですよね。でも、親御さんの感謝の気持ちを聞いたりとか。別に、大したことをしているわけじゃないけど、そういうことが職員の励みになるのかなと思って。直に返ってくるじゃないですか、反応とかが。よく見てないと駄目ですけれどもね(笑)。そのちょっとした変化が嬉しかったり。そういうことが感じられるようになると、たぶん、楽しい仕事かなと思います。

この仕事ってすごくクリエイティブだと思っているんです。人の気持ち、分からない気持ちを引き出したり、どんな手段を使うか考えたりっていうことで。たぶん、感覚としては芸術とかと似てる気がしていて。答えはないし、そういうところが、すごくリンクしたというか。気持ちとかも感じ取らなあかんし、新しいやり方とかそういうものをつくり出さないとあかんし、いろいろな創造がある仕事やと思うんですよ。だから面白いのかなと思っています。「この人、何を考えてはるんやろう?」とか「何かしゃべり始めたら、どんなこと言いはるんやろう」とか、そういうのを考えたり、「この人なりのやり方をつくらなあかん」とか「この人なりの伝え方を」とか追及したり、そういうのがたまらんのやと思います。それでいい反応が返ってきたらすごい良いし、悪い反応が返ってきたら何か違うのかなとかというところを、答えじゃないですけれども、そういうのを探るのが好きな人は好きなんじゃないかなと思うんです。

嵐が大好きな利用者さんのチェックシート

これからの活動で大切にしていきたいことは何ですか?

やはり、地域の人と触れ合うこと。地域というところは、企業の人であれ、一般の人であれ、一緒かなと思うんですね。施設の中にいて、一般の人や企業の人が来るかといったら、なかなか来ないですよね。外へ出たら、たぶん施設のなかにいるだけでは一生会わない人たちに会える。

「障害者です」って言葉で説明するよりも、実際に出会ってもらうのが一番説得力があるし、理解してもらえると思うんですよね。だいたい一般の人が想像する障害者像って、車いすに乗って、身体障害者の方をイメージしはりますよね。でも、実際に、外で働ける人とグループを組んでいくと「あっ、こんな人もいるんや」っていう、向こうの新しい発見みたいなのがあったりするので。普段接しているなかで、見たり、聞いたり、五感で感じてもらわないと、なかなか伝わらないかなと思います。普段、起こらないようなことが起こりますからね、普通に。それもまた楽しいかなと思います。

お金を得るということだけじゃなくて、企業の人たちとちょっと話すだけで、出会ってもらって。こうやって外にも出られるんやということが分かってもらえるだけでも、啓発という意味ではすごくいいなと思って。最初に、仕事をキーワードにして、企業や社会とのつながりをつくってくれた人たちがいたからこそ、また段階を得て、今の活動につながっているような気がします。

前は、こっちから「お仕事をください」という感じだったんですけれども、今では「そんなことができるんやったら、うちに来てもらったら、何かできることあるわ」っていう声を企業さんからたくさん頂いていて。できることと、できないこととがあるんですけれども、そういうキャッチボールができるようになったのはすごく大きいことですね。

手作りの空き缶潰しマシーン

今後の目標や、若い世代へのメッセージがあれば教えてください

今、次の時代の人たちが出てきてくれてはるので、ちょっと面白くなってきています。自分は、今度、伝えていったりするくらいの年代になってきているのかなと思っているんですよ。

一個上の世代の人と、下の世代の人とで、福祉をとりまく環境、時代背景みたいなものが全然違うんですよ。何もないところから、掘っ立て小屋みたいなところに人が集まった時代からやっている人と、いろいろ労働環境が整ってからっていう人と。仕事じゃなくてボランティアで、熱意でやって、それを仕事に変えてきた人と、はじめから一つの仕事として入ってくる人と。やはり全然違うのかなと思っているんです。

これから入ってくる人は新しい価値観を持ってはるし、今まで先駆的につくってきた人は、ものすごく熱い想いを持ってやってきた人。自分はそのちょうど中間に値するので、うまくバランスを取るというか、つなげるような役割が、今のこの時期にあるのかなと、勝手に思っています。

上の世代の人たちの「熱さ」のような、基本となるものは持ちながら、仕事として成立させてもらえたらいいのかなと思います。この時間だけここにいて、お金さえもらえたらというのではなくて、相手の表情が返ってきたりとか、そういう楽しみを見つけて、それを自分が引き出そうとか、これをやってみようとか、投げ掛けてみようとか、それこそクリエイティブにしてほしいなと思っています。

プロフィール

楠田 貴之(くすだ・たかゆき)

社会福祉法人さつき会 さつき作業所 副所長

平成15年にさつき作業所に転職。平成27年生活介護事業の担当となり、平成30年より現職。施設外就労や施設外での活動へ積極的に参加している。職員も利用者も刺激を受け、楽しく仕事ができる環境をどうやって生み出すかを考え日々の現場に関わっている。

社会福祉法人さつき会 さつき作業所