【New】清水安治(しみず・やすはる)さん
エーゼロ株式会社 高島しこぶち事業所

エーゼロ株式会社高島しこぶち事業所の清水安治(しみず・やすはる)さん。前職では滋賀県職員として、都市から地方への移住促進、福祉のまちづくり条例の施行、高校などの県立施設の木造化、滋賀県立大学「近江環人地域再生学座」の開設等の施策に関わってこられました。その傍らプライベートでは地元高島市での空き家や空き施設の利活用、地産地消の木の家づくり等、様々な活動もされています。2018年に就労継続支援B型事業所「ホトラ舎」(高島市)を開所し農福連携にも取り組まれています。建築を通じて福祉と関わったきっかけや様々な活動にまつわるお話を伺ってきました。
(令和元年6月11日 ホトラ舎にて)

自分がやりたいことをやる

滋賀県庁へは建築系の技師として入職しました。平成7年に健康福祉部(現健康医療福祉部)へ異動になり、そこで福祉に携わりました。
健康福祉部在職時は、いわゆる「福祉のまちづくり」に関わっていました。当時は、県や市町の施設等を高齢者や障害のある人をはじめ、だれもが安心、快適に利用できるようにと、「人にやさしいまちづくり」が行政施策のトレンドでした。滋賀県は全国でも早い段階で福祉のまちづくり条例を施行し、それを具体化していこうということで、福祉のまちづくり推進室(その後、組織改編により廃止)が設置されました。
僕はそれまで障害当事者の方とほとんど関わる機会がありませんでしたが、福祉のまちづくり推進室では建物整備のため様々な福祉施設の現場へ行き、身体障害、脊髄損傷、聴覚障害、視覚障害の方々と出会い、色々とお話を聞かせてもらいました。この経験は今の事業所運営にも繋がっていると思います。
一方で、その後の30歳代後半頃から、県職員の立場でもできることとして地元高島市への空き家や空き施設を利用する移住促進や地産地消の木の家づくりなどに、プライベートの立場で関わってきたんです。空き家利用として、古民家再生も数件のプロデュースをしました。
このような地域資源を活かすことにもっと踏み込みたいと考え、早めに県庁は退職するつもりだったんですが、地元の高島市役所への出向要請があったりして、当初の予定より3~4年遅れたんです。早くに転職と思っていたのは、やるからには中途半端にはしたくはなかったので、60代で退職してからとなるとたぶん体力的に結構きついかなと思って。55歳から10年間の65歳までは全力で頑張れるかなという思いがあって定年まで5年を残して県庁を退職しました。今は退職してから3年経ちましたけれども65歳の時点でどうなっているか楽しみです。その後の65歳から75歳ぐらいの10年は体力的には難しくなっていても、その時にはそれなりの役割もあるかなと思っているんです。だから、まずはこの10年は全力で頑張りたいなと思っています。

清水さんの様々な活動にまつわるチラシ

活動の原点は?

県庁時代、就職当初は住宅課に在籍していて主に住宅建築を担当していました。今から30年くらい前は、建築といえば鉄筋コンクリート造や鉄骨造が主流で、木造建築が注目を浴びるようなことはほとんどありませんでした。僕の家は高島市の農村にあり、木造ですが築年数も古くなってきたので、これからどうしようかと思ったときに、当時は解体して新築が一般的でしたが、壊さずに直して使えるのではないかと思い、古い部分のほとんどは修繕して、一部を増築しました。増築部分はたまたま所有する山林があるので自分の山の木を使おうと思い、伐り出して自然乾燥の木材を使いましたが、お金もかかって結構大変でした。でも、僕の場合は、自分の先祖が植えた木を使うわけですから、ものすごく意味があり非常に満足感がありました。この満足感を他の人にも伝えたいなと思って。このことがきっかけで「安曇川流域・森と家づくりの会」を40歳ころに立ち上げて、地元の山の木を使う家づくりの活動をやり始めたんです。
木は植えてから木材として使えるようになるまで50年ほどかかります。日本の山の木の多くは戦後に植えていて、今やっと日本の山の木が木材として使える時代になり、国も公共建築の木造化に力を入れています。最近は福祉施設や保育園、学校などが先行して木造化をすすめています。
でも公共施設の木造化を県庁の建築課でやり始めた当時、木造化にはいろいろなハードルがあって難しかったのですが、具体的に目に見えるかたちで実現したいと思い彦根東高校の校舎の木造化を手掛けました。県内では半世紀ぶりの県立学校校舎の木造化です。

高島のスギで建てた無垢の木の家(太山寺小さな家 モデルハウス)

多様な人の巻き込み方

このように県庁では、高校校舎の木造化をきっかけにしてさらに公共建築の木造化を進めようとしました。当時公共建築のほとんどは鉄筋コンクリート造や鉄骨造なので、木造化のノウハウがほとんどなく、誰もがやったことがないことはしたくないという雰囲気がありました。そこでまずは周りの職員に丁寧に説明をしていったんです。その中でも特に理解を示してくれる人たちに、公共建築の木造化の流れは間違いのないことだという情報を伝えました。そうするうちにいくつかが具体化してきて、今やっていることや、これからやろうとしていること、ある程度の自信が沸いてくるんです。これはちょっと間違っているかな?、ずれているかな?と思うようなことをやっていたら不安が多いかもしれませんけれども、今やっていることが、いずれ評価される、求められている、間違っていないことであれば、自信をもって全力でできますよね。だから、必ず具体的な結果を出そうと思ってやりました。
仕事は自分一人では出来ないことが多いです。一人では能力的にもできないし、物理的にもできない。「安曇川流域・森と家づくりの会」は、僕が中心となって声掛けをして立ち上げたんですけれども、立ち上げるだけではなく「この人ならふさわしい!」と思う人に担ってもらえるように運営を応援しています。そういう人をうまく見つけないと、自分が立ち上げても、いつまでも個人がやっていたら限界があるかなと思っていています。

一棟貸しの宿泊施設 山里暮らし工房「風結い」

農業と福祉について

福祉の業界は福祉サービスの対象者のための居場所をつくるとか、その人たちを守るために存在してるというイメージがありました。障害の程度によって提供するサービスの質や内容は異なりますが、居場所づくりや守ってあげるという考えの枠を超えて、社会とつながるその一員として存在してもらえる仕組みづくり、場づくりがあっても良いと考えています。皆がそういうわけにはかないかもしれないですけど。僕は、農業をやるときに、高齢者でも、障害者でも、社会の担い手として活躍できたらいいと思います。この地域の農業を担っていくうえで、障害があっても仕事として担える人は参加してもらえたら僕らもうれしいし、その人たちも、そこで社会的な貢献を感じたり、それが生きがいにつながったり、給料がもらえたりするので。最近ではそういう発想に障害福祉も変わってきていると思います。
僕はもともと建築関係を生業としていましたので、福祉関係の業界で知っている人はほとんどいないんです。ホトラ舎のサービス管理責任者は、以前は別の社会福祉法人で障害福祉関係の仕事をしていた人です。障害者の就労や生き方の選択肢の一つとして農業もありやな、必要やなと思っている人はどこかにいるわけです。そういう人を捜し出して、来ていただいたという感じです。でも、たまたま出会ったんですけれどもね。
ホトラ舎で契約している利用者は、去年の9月から事業を始めて現在14人です。他にも実習に来ている人もいるので、近いうちに15人ぐらいになるかなと。僕は地域農業に関心があったので、その農業の未来を何とかしようとしたときに、高島市では農作業をする福祉事業所はそんなに数がなく、農福連携として障害者が働ける場があってもいいかなということで始めました。障害者の方も人によっては、内職的な作業の方がいいという人もいると思うけど、僕らは彼らの選択肢を広げるという意味で、農業という屋外の仕事がいいという人に来てもらえたら、それでいいと思っています。

就労継続支援B型事業所「ホトラ舎」外観

高島の魅力について

誰でもそうですけれども、ずっと同じ場所にいるとそこしか見えない。井の中の蛙ですね。同じ場所に留まっているだけではそこの良さってなかなか分からないですけれども、僕は大津の県庁で働いていたので、県内全域を見てきました。さらに日本中を見回しても、滋賀県は非常にバランスがいいですよね。
特に背後に山がある地形には可能性があると思っていて、高島は山に囲まれ平地があって、川も流れていますし、琵琶湖にも接しています。このようなことも含めて、他の地域と比べると、都市部との距離感が絶妙で、冬には雪の降る気候や、災害も少ないし、歴史や文化も興味深い、客観的に見てもすばらしところではないですか。
エーゼロ株式会社の代表取締役牧大介とは、2002年に僕が県庁の企画調整課に在籍していたときに、仕事で初めて知り合ったんです。エーゼロ株式会社は第一次産業をベースにしている会社で、もともと岡山県西粟倉村の林業を中心とした地域ビジョンとして「100年の森林構想」の立ち上げに関わっています。今、日本中の山が戦後の拡大造林を経て50年ほど経ったので、この山の木をあと50年どういうふうに活かしていこうか、100年単位で物事を考えるビジョンです。この会社を彼が立ち上げて、まずは林業をベースに木材加工して、付加価値を付けて、地域に利益を落としていくことを始めたんです。林業をふくめた農業や水産業とも関係があるので、僕も高島市役所の農林水産部にいたこともあって、エーゼロの活動に関わることになりました。今では、エーゼロは岡山県西粟倉村に第一次産業を中心とした6次化を中心としたベンチャー企業の立ち上げを促し、多くの移住者を呼び込んでいるんです。ローカルベンチャースクールの仕掛けを作り、ローカルに興味がある人、この地域で事業を立ち上げたいと考える人を呼び込んで、コンサルティングや立ち上げ支援だけではなくて、その後も一緒に並走するような事業、人づくりをやっています。
また、僕が代表理事をしています「NPO法人結びめ」は、都市と地方をつなぐための仕掛けづくりをやっており、移住支援や空き家活用もその活動の一つですが、移住するにしても空き家に住むにしてもその地域で営む日々の暮らしが基本となります。住むための空間だけでなく、仕事や食、周辺環境、農業や林業、人づきあいなどに焦点を当てて、地域を再評価しようということで始めました。
県庁時代に勤めていたころ、湖北や湖東、高島への移住促進をやりつつ、プライベートな活動として「NPO法人結びめ」を立ち上げたんですけれども、その後、うちの集落だけでも、ここ数年で8家族ぐらい移住してきました。高島市内全体ではかなりの数の移住者を呼び込むきっかけづくりになったのではないでしょうか。
そのうえで、高島市に移り住んだ人たちが、ここでどんなふうに暮らしているかを移住に興味のある人たちに発信し、移住の先輩に会いにいきましょうという趣旨で「風と土の交藝」という地域の工芸作家などの暮らしに直接触れ、交流できるイベントもやりました。「暮らしをめぐり、生き方をみつける」これがこのイベントの目的です。

ホトラ舎で栽培している原木しいたけ

これからの夢は?

中学生から大学卒業後もしばらく陸上競技の三段跳をしていていました。その後、県庁職員の時は全く運動をしてなくて、退職後の一昨年から始めたんです。かつてはあれだけ頑張っていたので、ちょっと練習したらマスターズでもそこそこいけるのではと甘い考えで始めたんですが、昨年の最初の試合の最初の試技でアキレス腱を完全断裂してしまって(笑)。アキレス腱断裂って大けがですよ。車いすや松葉杖生活の身となり、バリアフリーの必要性を痛感しました。怪我してから9ヶ月経って、ようやく恐る恐る試合に出ました。お守り代わりに新たに傷害保険にも入ったうえで今年は何回か試合に出ています。しかし全くかつての雄姿には程遠い状態ですが、健康のためにもやれるだけやってみようと思っています。2021年に関西で開催されるワールドマスターズゲームズが開催される年はちょうど60歳で60代の最年少クラスになるので(笑)。密かに狙いつつ、こっそりやっています。

プロフィール

清水 安治(しみず・やすはる)

エーゼロ株式会社 高島しこぶち事業所

大学で建築を学び、滋賀県庁入庁。障害者福祉、企画調整、地域振興、公共建築などを担当。2013年、高島市に出向し、政策部長、農林水産部長。2016年、県庁を早期退職し、エーゼロ株式会社の立ち上げと同時に入社。2018年9月、就労継続支援B型事業所「ホトラ舎」を開所。2019年4月、共同生活援助施設(グループホーム)「やまえみ」を開所。

エーゼロ株式会社ホームページ
ホトラ舎Facebookページ
NPO法人結びめホームページ

 

編集後記

清水さんの活動の原点を伺うと、「自分で高島の木を使って家を建てたことの楽しさを多くの人に知ってもらいたい」とおっしゃられていました。そのため滋賀県庁で働きながら、高島市の移住促進、地産地消の木の家づくりと合間の時間に高島の魅了発信のため、多くの事業を手がけられていました。そして自分ひとりでするのではなく、様々な人を巻き込み実践されています。
インタビュー時もどのようにしてこれらのことを成し得たのかと伺っても、清水さんはよく「たまたまです」とおっしゃっていました。それは決してたまたまでは無く、清水さんのお人柄や先見の明によるものではないでしょうか。
糸賀一雄氏も様々な事業を成し遂げたことについても幅広い方面の人脈と協力。つまり、池田太郎氏、田村一二氏を始め数多くの仲間や協力者がいたことで様々な事業を成し遂げました。いかに人を巻き込んでいっしょに実践するか。これが物事を成し遂げる秘訣ではと感じました。清水さんは、地元高島の魅力発信が全てのベースになっています。その一環として高島での農業を考えたときに、高島に暮らす一員として障害のある人もその担い手として捉え、さらに農福連携の取り組みを知ったことがホトラ舎の開設につながっています。このことは‘地域のための資源’としての障害福祉サービス事業所のあり方を提示してくれています。福祉のことはサービス管理責任者に任せっきりですと笑いながらおっしゃっていましたが、それは信頼関係があってのことだろうと思います。

(聞き手 田端・佐倉)