谷剛(たに・つよし)さん
[NPO法人 BRAH=art.]

NPO法人BRAH=art.の理事の谷剛(たに・つよし)さんは電器屋さんになりたかったそうですが、障害者支援の仕事に魅力を感じるようになり、10年間、現場で自立訓練事業や相談員をされました。横並びの支援を考えて、誰もが役割を持ち、やりたいことを仕事にして暮らせる場所をつくろうと、有志メンバーでBRAH=art.を設立。喫茶店スタイルの日中一時支援事業所Yafa~をオープンするなど、今の形に至るまでの道のりと思いを語っていただきました。
(平成31年2月19日 Yafa~にて)

滋賀で福祉を始めたときのことを教えてください

大分県出身で、元々は工業高校で電気工事の勉強をしていました。電器屋の店員さんになりたかったのです(笑)。田舎の電気屋さんは、親切ですよね。何かいいなあと。
人相手の仕事がしたいんやな、みたいなことを自分でもちょっと気付いて。進学しようと思ったときに、たまたま草津に親戚がいたので、最初そこで3か月ぐらいお世話になりながら、介護の勉強をすることにしました。介護福祉士の専門学校に2年通ってからの就職だったんです。
専門学校では高齢者の方の勉強が中心で、障害の方の勉強はあまりカリキュラムがありませんでした。卒業後は地元に帰ろうと思っていたので、早い段階で就職も地元で決めておいたりと準備をしていたのですが、最後に、せっかくだからびわこ学園で実習をしようと思ったんですね。そこで、すごい感銘を受けたというか。当時の学校の担任も背中を押してくれたこともあり、就職試験を受け、幸い二次で受かりました。
僕の中では完全に入所施設のイメージでいたのですが、配属されたのは大津のやまびこ総合支援センターで、地域の部門でした。2年間、重度の知的障害の方の通所を経験させてもらって、その後、自立訓練事業のひまわりはうすに6年。最後の2年間は相談課で、相談員をしていました。

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Yafa~の看板

相談員でのご経験談を教えてください

ひきこもりの方の訪問から対応させていただくような相談が結構多く、私も何名かの方と関わらせていただきました。だいたいはご家族が困ってご連絡をいただき、支援につながる形が多い。ただそういうとき、本人は困っていなかったりする。困っていることに気付いていないということもある。家の中で居場所がないと思っておられる方もいらっしゃるし、家族との関係がよくないという方もおられる。そうなると本人からしてみると、「家族が追い出そうとする」、ちょっと「家族が敵」というか。そんな状況のご本人さんとどう関わっていくか。基本的には「どうしよっか?」と、ご本人さんと一緒に横並びで考えるというスタンスを、すごく大事にしていました。どうやったら家から出られるかというよりも、今、これからどうしようかというスタートラインに一緒に立つところからというのは、訪問の対応で心掛けていた部分ですね。


喫茶店スタイルのYafa~

「横並びの支援」とは?

もともとグローさんが滋賀県社会福祉事業団(※)さんの時代に、打楽器のワークショップやアートサポーター派遣事業というのをされていた時期があり、そのときの流れを受けてひまわりはうすでアートと打楽器のワークショップを月に1回、活動していました。
打楽器の音楽ワークショップに参加されている利用者さんの中には、僕が別の場面で関わることがある方もいる。日常の支援や別の場面、例えば一緒にお出かけするとなるとどうしても安全のことだとか、どう楽しんでもらうか、どう支えるかということに終始徹してしまう。でも、あの音楽ワークショップの場においてはそうではなくて、平等というか対等というか。演者としてまけていたらあかんという、そういうことを求められるではないですか。横並びの関係、支援する側とされる側ではなくて、一緒に何かを作っていくという関係が、音楽を題材に実現できたらいいなという感覚を持てましたし、それが大きな経験になっています。
普段支援させてもらうときに、違和感というか、疑問を感じるときがありました。支援する側とされる側という関係性のところ。でも、横並びにというか、対等な関係性というものを活動をとおして体験できたことがすごく今につながっているなと思いますね。
※ 社会福祉法人グローの前身。2014年に社会福祉法人滋賀県社会福祉事業団と社会福祉法人オープンスペースれがーとがひとつとなり、現在の社会福祉法人グローとなった。


玄関のウェルカムボード

BRAH=art.の「Yafa~」とは、どのような場所ですか?

家から全く出られていないですという方まではなかなか繋がることはないのですが、ただ、日中、通う場を探しておられるときに、入り口のハードルが低いという良さはあります。
例えば、もともと別の事業所に行っていたけど、しんどくなって辞めたという方は、「失敗した」と思っているのですよね。家にいる人がもう1回チャレンジしようというとき、仕事とか活動みたいなものがあると、自信が足りないというか。だったら、「昼ご飯を400円で食べられるから、食べにおいで」とか「コーヒー、飲みにおいで」くらいの設定にしておいた方が来やすいのではないかなと思って、喫茶店スタイルというのをやってます。
あと、夕方は一般就労されている方や作業所に通っておられる方が、帰りに寄って、職場の愚痴を吐いて帰る場所になっています。それぞれユーチューバーの話やゲームの話で盛り上がっていて、そんな健全な20代の若者たちの会話をおじさんが端でふんふんと聞いている感じだったりします。学校を卒業されてから、皆さん、会う機会がないのですよね。養護学校を卒業された後で出会うのは同窓会くらい。でも、ここは同じ学校の卒業生が集まりやすい地域なので、学校あるあるの話で盛り上がることもあります。結構楽しいですね(笑)。
本当に1人1人の暮らしから社会がつくられていくような。もう、大きいところで決まって、それに全員を合わせるという方法だと、どうしてもそこからはみ出してしまう人がいるわけなので、1人1人から出発して社会をつくっていけば、きっと誰もが住みやすい世の中になるのではないかなという思いを込めてやっています。


カウンターとキッチン

BRAH=art.について、谷さんの思いを聞かせてください

福祉を仕事にして、たくさんの方に関わらせていただいて、みなさんひとりひとり様々な事情を抱えておられたのですが、「頼られたい」「当てにされたい」「必要とされたい」という思いを強く感じました。たしかに障害があるということで、自分が助けを必要とするという場面が多かったかもしれません。一方で彼ら、彼女らが誰かに「頼られている」「必要とされてる」と実感を得られる場面は少なかったように思います。これを創っていくことが社会の中でふつうに暮らすことにつながるのではないでしょうか。
1人1人のやりたいことを仕事にというのはもちろんのこと、役割を作っていくこと、頼り頼られる関係をつくることが大事だと思ったときに、まず関係の土台になる気軽に来られる場所があることがとても大切だと思います。
様々な事情を抱えた方々がいらっしゃるので、その人たちが安心して暮らせるような場所をつくらないと、本当に安心して住める地域とはいえないだろうと。BRAH=art.を始めるというときに僕が一番意識したのはそこですね。
ここに来さえすれば、僕が聞けることは聞くし、手伝えることは手伝うし。「とりあえずいったん、ここへ来て、しゃべってみ」と言って、相談してもらえる場所をやりたいなと思っていたので、今、そんな形を取っています。

今後の目標や夢はありますか?

将来的には銭湯をやりたいと思っています。老いも若きも服を脱いだら国籍だとか肩書だとか関係なく一緒ですよね。同じ地域に暮らす者同士、風呂に入って「ええ気持ちやなぁ」と言い合う、仲良くなる。シンプルですね。とても簡単なことのように思えますが、今の社会では難しくなっているように感じます。
銭湯で、その町のことが分かるみたいな場所をつくれたら。休憩所でコーヒー牛乳を飲みながら、「最近、どうや」と。すごく面白いと思って。
人とつながるためのツールや場所が最近は本当に少なくなってきているなという感じがします。実現は簡単ではないと思いますが、やりたいな。まきを燃料にして、利用者さんで力自慢の方にまき割りをやってもらって。番頭さんにも時給を払って雇えるしとか、牧場をつくって牛乳を売ったらどうかとかいろいろ想像しています(笑)。
たまたま障害のある方の支援の分野に長くいたから、そこから出発しているけど、障害があるとかないとかもう関係なく目指す先は安心して暮らせる町。それをどういうふうにつくれるかというところを考えています。

※平成29年にはNPO法人BRAH=art.岩原理事長にもインタビューしています。併せてご覧下さい。 →こちらです

谷 剛(たに・つよし)

特定非営利活動法人 BRAH=art. 理事

介護福祉士養成の専門学校で福祉を学び、社会福祉法人びわこ学園に入職。地域生活支援の現場に配属され、障害者通所施設、相談員などの現場を経験する。平成26年仲間とともに特定非営利活動法人BRAH=art.を立ち上げ、「障がいがあろうとなかろうと、好きなことを仕事にして、精一杯生きる」そんな社会を実現するため、今日もYafa~(日中一時支援事業所)でコーヒーを淹れる。

特定非営利活動法人 BRAH=art.